46. 人は変わる、こともある

「……あれ?」

 目を開けると、白っぽい部屋の消毒っぽい匂い。あれ、俺路上でよくわからない奴に後ろから抑えられて、死んだんじゃなかったっけ? 慌てて体を起こそうとすると、ぐいと押さえつけられる。

「動くな!」

「え? あれ? ……蒔苗?」

 周囲をよく見ると、アカリは清潔なベッドで寝ていて、左腕には点滴の針が刺さっていた。そして――ベッドサイドには蒔苗がいる。

「うわっ、おまえ無事だったのか! 何やってんだよこんなとこで」

「それはこっちの台詞だろうが」

 だってアカリは蒔苗を止められなかった。蒔苗はきっと「月曜日の絞殺魔」で、アカリの監視をすり抜けて新しい被害者とどこかのホテルに入って、首を締めてからその人を抱いて……。

「はあ? 何言ってるんだ?」

 混乱する頭で披露した名推理は、呆れたような顔と言葉に一刀両断される。

「……違うの?」

 アカリはぽかんと間抜けに口を開けて蒔苗を見上げる。蒔苗は小さくため息をつくと、ポケットから出したスマートフォンを操作して、大手ニュースサイトの画面をアカリに示した。

 ――女性連続絞殺事件の容疑者として、無職男性(28)を逮捕。

「蒔苗じゃ、なかった……」

「当たり前だろ。っていうか明里、俺が犯人だと思ってたのか」

「だ、だって……」

 ほっとしたら、急に涙腺が緩んだ。蒔苗の顔が歪んで見える。

 良かった。蒔苗は人殺しじゃなかった。他の女性の首を絞めてセックスしたわけでもなかった。

「おい、なんで泣くんだよ」

 少しうろたえたように、蒔苗はアカリの目にハンカチを押し付ける。

「だって……場所も蒔苗の家から近いし、月曜の早朝はいつも俺とやった後出ていって部屋にいなかったし、俺の首も絞めたし、手は傷だらけだし……何より死んだ人間とやりたがるような奴そうそういないだろうし……」

 アカリは止まらなくなった涙をだらだら流しながら、蒔苗を疑った根拠を次々とまくし立てた。そして、最後に。

「それに、最近俺とあんまりやりたがってないから、飽きられたんだって……悲しくて……」

 言ってしまった。これでアカリが蒔苗のことが好きだとばれてしまう。性欲を満たせる気軽な関係だと思っていた相手が本気で恋をしてきたことに気づいたら蒔苗はどう思うだろう。アカリにとって女性に好かれるのと同じ「そもそもの対象外」からの恋愛感情。受け入れてもらうことはきっと難しい。

 渡されたハンカチで目元を拭って、返事がないのでおそるおそる蒔苗の方を見る。そこにはアカリがこれまで目にしたことのない光景があった。

 あの、能面鈍感変人の蒔苗が、明らかに驚いた顔で固まっていた。

「……蒔苗? そんな、固まるほど嫌か、俺に好かれるのは」

 アカリが悲しい思いで告げると、電源の入ったばかりのロボットのようにぎこちなく動き出した蒔苗が口を開く。

「飽きてるのは、明里だろう? ていうか、おまえ、滝と結婚するんじゃないのか」

「はあ?」

 今度はアカリが硬直する番だった。アカリと百合子が結婚? 一体どこからそんな話が?

 問い詰めると、自分の勘違いにようやく気づいた蒔苗は渋々経緯を話し始めた。

 アカリと百合子がしょっちゅう電話で話しているのを見て二人は友情以上の関係にあると思い込んでいたこと。アカリが人工妊娠中絶について検索しているのを見て、てっきり百合子を妊娠させたのだと思ったこと。大学でアカリと百合子がこそこそと話しているのを聞いてしまい、その内容から二人が結婚して百合子は子どもを産むのだと思っていたこと。――だから、自分との歪な関係は解消した方が良いと思ってアカリと距離を置こうとしていたこと。

「でも、俺がゲイだって知ってるだろう?」

 あまりに荒唐無稽な蒔苗の想像に呆れていると、蒔苗はさすがに体裁悪そうにいらいらと爪を噛む。

「知ってるけど、人の嗜好は変わることもあるだろう」

「変わるって? 俺が女を好きになるとか? ないない」

「でも俺は――」

 アカリの心臓が跳ねる。もしかして、これは。もしかして、蒔苗が言おうとしているこれは。

「やっぱり、いい」

 ふいと横を向いてしまった蒔苗にすがりつき、言葉の続きを強請る。

「やっぱり、よくないっ! なんだよ、最後まで言えよ!」

 蒔苗は気まずそうにうつむいて、小さな声で言った。

「俺は死んだ人間にしか欲望を抱けないんだとばかり思ってたけど……。明里、おまえに限っては生きて動いている方がいいみたいだ」

 絶望からの大逆転。再び溢れ出す涙でアカリの視界はゼロになり、何も見えない中でゆっくりと影が近づいてくる。

 その影はそっと、唇に触れてきた。

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