第4話

 股間を気にしながら謝罪の言葉を口にしたぼくを見て、宇田もようやく異変を察したようだ。スウェット地を持ち上げるものに目をやると、顔を赤らめた。

「すみません、あの……」

 恥ずかしいのはお互い様だ。同性に脚を触られたくらいで性的に興奮してしまったぼくも、興味本位で人の古傷を撫でているうちに勃起させてしまった宇田も、きっといたたまれない。

 ぱっと手を離した彼があまりに申し訳なさそうな顔をしているので、ぼくは右手で股間を隠しながら立ち上がろうとする。

「いや、こっちこそごめん。人に触られるとか、ずっとなかったから……。悪いけど、ちょっとトイレに行ってくる」

 経験上ここまで反応してしまったものは簡単にはおさまらない。いつまでも気まずい空気の中でみっともない姿を晒し続けるよりは、さっさと抜いてきた方がましだ。

 しかし、片脚がないのはこういうときにも極めて不便だ。すぐにでもトイレに逃げ込みたいのに、義足をつけないことには立ち上がることすらできない。

 ベッドの上に脱ぎ捨ててあったシリコンライナーに手を伸ばすと、意外にも宇田がそれを制した。さっきまで脚を撫でていた彼の手をぼくの手の甲に重ねて、迷いを感じさせないはっきりとした口調で告げる。

「おれが余計なことをしたから、いけないんです。責任とります」

「は? 責任?」

 どういう意味――と口に出すより早く、彼の手はもうぼくの股間に移動していた。

 突然脚の切断箇所に触れられたときも面食らったが、今回の驚きはそれ以上だった。口数は少なく、決して外見も派手とはいえない宇田。人間を見た目だけで判断するのは良くないことだが、とても性的に経験豊富なタイプとは思えない。その彼が迷いなくぼくの勃起した股間に手を伸ばし、触れている。

「う、宇田さん……」

 どうだろう、もし義足を外していなかったならば、ぼくは宇田を押しのけてトイレに走っただろうか。彼の行為に恐怖や嫌悪を感じただろうか。でも、そんな「もし」に意味はない。だって現実のぼくが物理的に立ち上がることは不可能だし、気持ちの面でも――すでに彼を拒む気を失っていた。そのくらい、ほとんど一年ぶりの他人による愛撫は鮮烈だった。

 最初はスウェットの上からおずおずと撫でるだけ。それからそっと握ってくる。さすがに気まずいのか顔は伏せたままで、宇田は奇妙なほど真剣にぼくの性欲に向き合っているようだった。

 分厚い布越しの刺激だけではもどかしくなって、いくらか躊躇してからぼくは彼の手をスウェットの中に導く。ひどく興奮しているのに頭の隅に冷静な部分があって、「さっきシャワーを浴びておいてよかった」なんて、まるで付き合いたての女の子とはじめて部屋でふたりきりになったときのようなことを考えていた。

「……っ、あ」

 宇田の手が直接ぼくの勃起に触れる。それは自分で握るのとはまったく違っていて、かといってこれまでに寝たことのある女の子の小さな柔らかい手とも違っている。

 一言で表現するならば、思慮深くて優しい手。他人への遠慮や手加減はありつつ、同性ゆえなのか性感のポイントは的確に突いてくる。正直、すごく良かった。

 荒い息を吐きながら宇田に目をやる。俯いてぼくに奉仕する彼の首筋と、耳は真っ赤に染まっている。その体が不自然に揺れていることに気づき、ふとぼくは彼の股間に手をやる。

「あ、待って……土岐津さん」

 突然の反撃に宇田は驚いたように腰を引くが。もう遅い。ぼくの貸してやったハーフパンツの下で、宇田のペニスもまた硬く熱くなっていた。

「宇田さんも、勃ってる」

 耳元で囁くと。宇田は泣きそうな声で「ごめんなさい」とつぶやいた。でも謝る必要なんてどこにもない。それどころかぼくは、自分が一方的に触れられて興奮しているわけではなかったことに安堵し、喜びを感じていた。

「良かった、お互い様だ」

 ハーフパンツの中に手を差し込むと、宇田はもう逃げなかった。

 射精まで、あまり時間はかからなかった。互いのものを握り擦って、ほとんど同時に小さな呻き声をあげた。続いて手の中のものがビクビクと震えて白濁を吐く。絶頂の瞬間、宇田の右手はぼくの性器を握り、左手はやはり、ぼくの左足の断端に触れていた。

 大きく息を吐いてから、ぼくは枕元のティッシュボックスの中身を数枚取り出し宇田に手渡した。もちろん自分の下半身もすぐに拭き清める。

 吐精すれば急に頭が覚めてくる。と同時に行為に夢中で忘れていた恥ずかしさや気まずさも蘇ってきた。

 先に言葉を発したのは宇田だった。

「ご……ごめん、おれ、本当にこういうつもりじゃ」

 青い顔をして、早口で言い訳じみたことを口にする。

「いや、そもそもこっちが」

 先に勃起したのはこっち――いや、でもそもそもは宇田がぼくの脚をあんなふうに撫でたから変な気分になったわけで。しかし脚の断端に触ってみるかと言い出したのはぼく――いや、そういう問題ではない。

 確かなのは、ぼくが宇田との関係を気まずいままにしたくないと思っていたこと。しかし、宇田は同じようには考えていなかったのかもしれない。

「おれ、乾燥機、見てきます!」

 視線を合わせないまま弾かれたように立ち上がると、彼は小走りで浴室に向かった。数分もかからず戻ってきた宇田は、腕にまだしっとり濡れた服を抱えている。

「下着は乾いていたから、もう大丈夫です。服は今度返しにくるんで……本当にすみませんでした」

 まだ肌寒い季節にハーフパンツで外に出るのはあんまりだ。どうしても帰るというならせめて別の服を……そんな言葉も彼の耳には入らなかったようだ。無理に引き止めようにも、ぼくがシリコンライナーを装着し終える頃には彼はもう玄関にいて、義足をつけ終えたときにはすでに雨が降り続く外に出て行った後だった。

「……なんだったんだ」

 嵐のよう、というよりは夢のよう。春の夜に突然現れた宇田は、同じくらい唐突に消えてしまった。そしてぼくの中に残ったのは意外な感情、つまり喪失感だった。

 あんなことをさせたから怒ってしまったのだろうか。せっかく――事故以来はじめてゆっくり話をしたいと思える相手だったのに。射精した瞬間の高揚感が嘘のようにぼくの心は沈んだ。こんなことになるなら彼の前で義足を外すべきじゃなかった。彼にぼくの脚を触らせるべきじゃなかった。

 でも、宇田は服を返しにくると言っていた。そのときもう一度話をするチャンスがある。

 何をどう弁解して、宇田がどう反応するかはわからない。ただぼくは、せっかくの彼との縁をこのまま失いたくない。少なくとも宇田とであれば、他の友人や家族といるときのような喪失感やコンプレックスに苛まれずにすむ。だからなんとか次に会ったときに関係を修復して、できれば連絡先を交換して――。

 しかし、ぼくの思惑はあっけなくついえた。

 というのも翌々日の午後、病院でのリハビリのため外出しようと部屋を出ると、外側のドアノブに紙袋がかかっていたからだだ。その中にはぼくが宇田に貸したパーカーとスウェットが、きれいに洗って畳んで入れられていた。

 いつの間に宇田はここに来て、この袋を置いて行ったのだろうか。間抜けな話だが、ぼくはまったく気づかなかった。

「なんだ……声くらいかけてくれればいいのに」

 思わず落胆した声が出た。

 念のため袋の中身をすべて出して確かめたがメモの一枚も入っていない。初対面の相手にコンプレックスを打ち明けられて引いてしまったのだろうか。それともやっぱり、性的な接触がまずかったのだろうか。

 後悔の味はただひたすらに苦かった。

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