第9話

「――土岐津さん、何かいいことでもありました?」

 リハビリ後のマッサージを終えるタイミングで、宮脇が突然そんなことを言い出した。ぎくりとするのは図星で、別に悪いことではないのに隠したくなるのは内心を当てられた照れくささのせいなのかもしれない。

「どうしたんですか、急に」

 施術台の上で起き上がりながら聞き返すと、宮脇はぼくにタオルとシリコンライナーを手渡しながら笑った。

「人の体に触れるとなんとなくわかるんです……なんて言ったら、スピリチュアルっぽくて気持ち悪いって思われちゃいますかね。土岐津さん理系だからそういうの嫌いそうだし」

 どこまで本気でどこまで冗談なのかわからない調子だから反応に困る。

 そういえば事故のあとしばらくは、どこから話を聞きつけたのかぼくの両親のもとには古い友人やら職場の同僚やらから、除霊やら神様やらについての誘いが続々舞い込んでいたのだという。心理的に不安定になっていた母親が真に受けて「ありがたい情報」をぼくに伝えることもあったが、こちらの機嫌を損ねるだけだとわかったのかやがてそれも止んだ。

 まさか医療現場で、と思うが病気や事故といった不幸は怪しげな擬似医療や宗教にとっては格好の獲物だとも聞く。ぼくはいくらか身構えた。

「気持ち悪いとは思わないけど……。でも、そういうのって占いと同じで、当てずっぽうで言っても一定の確率で当たるもんですよね」

 相手の言うことを完璧に否定しないのは、衝突を防ぐための処世術。その上でやんわりと、自分は占いやスピリチュアルには関心がないと伝えるのは身を守るテクニック。

 視線を合わせないままタオルで脚をぬぐい、ぼくは義足の装着に集中するふりをした。

 それはともかく「いいことがあった」という宮脇の指摘だけは正しい。きっと体に触れてわかるというのはおおげさな表現で、こちらの表情や話し方から機嫌の良さを察したのだろう。

 もちろんその「いいこと」というのは――宇田絡みだ。

「実はぼく、怪我して以来はじめて店で試着して服を買ったんです」

 そこまで話をする必要はないのについ口にしてしまったのは、もしかしたらぼく自身がこの小さいようで大きな一歩について、誰かに知って欲しくて仕方なかったからなのかもしれない。

 へえ、と感心したようにうなずいてから宮脇はいたずらっぽい顔をする。

「もしかして彼女ができたとか?」

「まさか、病院と家の往復の日々なのに、彼女ができるとかありえないですよ」

「でも、ひとりで服を買いに行ったわけじゃないんでしょう」

 ぼくはうなずいた。

 服を買いに付き合ってくれたのはもちろん宇田だった。ファミレスで食事をしたあと、ぼくたちは連絡を取り合うようになった。

 暇を持て余しているぼくと違って、仕事を掛け持ちしている宇田は忙しく返事も遅れがちだ。一方的にメッセージを送り過ぎて引かれたり、貴重な休みを無理やりつぶすような誘いをかけたりしないよう自制しながらのやりとりだが、先週末にはなんと宇田の方から「どこか行きたいとことか、手伝いが必要なこととかありませんか」と申し出てくれた。そこで頼んだのが、買い物の付き添いだったのだ。

 義足になってから何もかもに気後れしているぼくだが、服を買うというのは最たるもののひとつだ。なぜならボトムや靴といった、下半身の衣類の着脱を伴うものを試着する場合どうしても店員に義足を見られることになる。しかも義足の上からズボンを脱ぎ履きするのは面倒で、試着室を長い時間占領してしまうだろう。

 よって服も基本的に通販で買うことにしているのだが、ここでもまた「新しいボディ・イメージ」の問題がつきまとってくる。つまり、義足を操るために新しい筋肉をつけ太くなった左大腿部や、そもそもまだ自分の体の一部だと認めていない義足のサイズ感がよくわかっていない。おかげで何度も買い物を失敗した。

 もちろん宇田がいたからといって何もかもが解決するわけではない。だが友達に様子を見てもらっているていでいれば、カーテンの向こうから店員がかけてくる鬱陶しい「いかがですか」の回数は間違いなく減る。それだけでもずいぶん気が楽だった。

「……友達ができたんです。前に雨の中で転んだって話をしたでしょう。あのときに助けてくれた人が、近所のコンビニで働いてて。最近たまに飯食ったり、買い物付き合ってもらったり」

 口にしながら、「友達ができた」という言い回しを恥ずかしく感じる。わざわざ友達を「作る」なんてせいぜい小中学生の子どもがすることだ。普通この歳になれば人間関係なんて日常の延長で自然に構築されていくものなのに――いまのぼくは人と出会うことや距離を詰めること、そのひとつひとつのハードルの高さを見極め、意識的に乗り越えなければ友達のひとりも作れない。

 だが、軽口や毒舌も多いとはいえ宮脇も医療従事者だ。ぼくの告白を笑い飛ばすような真似はしなかった。

「行動範囲やできることが広がるってのは、いいことじゃないですか。前も言いましたけど、土岐津さんずっと落ち込んでるみたいだし、大丈夫かなって思ってたんですよ」

 わかっている。だから定期検診の医者も、この理学療法士もぼくにカウンセリングを勧めてきた。面と向かって「現実を受け入れろ」「いつまでもくよくよするな」と言いたくても、それをはっきり口にするわけにはいかないから、その役割をカウンセラーとやらに押し付けようとしてきていたに違いない。

 正直、自分でも意外ではあるのだ。誰よりぼくのことを考えてくれている両親でも、違いをよく知っているはずの旧友でも、ぼくの回復を助けてくれる医療スタッフでもなく、なぜ宇田なのか。出会って数週間の彼の存在がこんなにもぼくの心を楽にしてくれるのか。

「昔からの友達と会うのは抵抗があるんですけど、彼はいまのぼくしか知らないから、かえって気が楽というか。それに脚のことも気にしない――いや、普通に好奇心はあるのかいろいろ聞いてきたりはするんですけど、可哀想がらないというか気を使わないというか。なんか、楽な人なんですよ」

 そこまで話して、宮脇がやたらとあたたかい眼差しでこちらを見ていることに気づいて急に恥ずかしくなった。

 ぼくの周囲には他に義足を使っている人間はいないから、比較ができない。しかし宮脇は下肢欠損のリハビリを複数経験しており、専門の研修も受講しているのだという。理学療法士が扱う患者の中で下肢欠損や義足着用者というのはそこまで多くないはずだ。そんな中で偶然宮脇のような担当者に当たったことは療養に関しては幸運だが、一方で彼は他の患者とぼくを比較することができる。

「……本当は、考えすぎだって思ってます?」

 気づけば、思わず不安が口からもれていた。

「宮脇さん、他にも義足の患者を多くみてきたって言ってたじゃないですか。それと比べてやっぱりぼくってあきらめが悪い感じですかね」

 他の患者はもっとあっさりと新しい体を受け入れて、前を向くことができるのだろうか。それは一体、どうやって?

 だが宮脇は首を振ってぼくの言葉を否定した。

「比べられませんよ。下肢切断のリハビリは確かに何件もやってきましたけど、俺にとっても土岐津さんみたいなパターンは初めてですから」

「ああ……そういえば、事故での切断は少ないって先生から聞きました」

 医療の進歩で、怪我や事故での四肢へのダメージを治療や保存する技術は飛躍的に向上した。だから交通事故でぼくのように脚を切断するケースはいまではかなり減っているのだと。近年では脚の切断に至る原因としては糖尿病などによる壊疽や骨肉腫などの疾患がメインなのだという。

「そう。疾患で切断する人は変な言い方だけど――決断するまでに準備期間がある。それでも新しい肉体を受け入れるのは簡単じゃないんだから、事故に遭って目を覚ましたらってパターンは……」

 そこまで言って、宮脇はにやりと笑う。不謹慎というよりは、あえてそういうポーズをとることで深刻になり過ぎた空気を和らげようとしているのだろう。

「まあ、いくら偉そうなこと言ったって、俺も脚をなくした経験があるわけじゃないんで。寄り添ってるつもり言ったことにムカつく患者さんは多いでしょうね」

 心当たりがあるだけに後ろめたい気持ちが込み上げて、ぼくは苦笑した。しかし宮脇がこういう露骨な冗談を言えるようになったのも、こちらにある程度の余裕が出てきたからなのかもしれない。

「患者さんから『俺の気持ちがわかるか』ってキレられること多いですか?」

 義足を装着し終わったぼくは立ち上がり、何度か足踏みして装着具合を確かめる。その姿を見守りながら宮脇が言った。

「ないとは言いません。でも、しかたないですよ、実際わからないんですし。正直、自分のイメージする肉体と実際の肉体が一致しないってどういう気持ちなのか……一度経験してみたい気はしますね」

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