第24話

「ごめん。なんか急に辞めたり病気になったりで来週のシフトぐちゃぐちゃになってるみたいでさ……」

 電話を終えた宇田が部屋に戻ってきたときには、段ボール箱は元どおりの状態に戻してあった。それでも生あたたかい外気を感じたのか、宇田は不審そうに部屋をぐるりと見回してぼくに訊く。

「土岐津くん、窓開けた?」

 その目が不安に揺らいで見えるのは気のせいだろうか。

「うん、暑いのかなと思って。ちょっとだけだよ」

 もちろんそれは嘘だった。ベランダの段ボールに詰め込まれた本や写真の数々に、ぼくはひどく動揺していた。まだ心臓は激しく打っているし、頭がくらくらするのは野外の熱気のせいではないはずだ。

 どうしてあんなものを? 一体なんのために?

 疑問は湯水のように湧いてくる。しかし、何もかもあまりにも意味不明だし、大量の「左膝下を切断した男」の写真に至っては異常性すら感じさせる。わざわざぼくの目に触れないようベランダに隠していることを含め、宇田の側にも後ろめたさがあるような気がした。

 あの奇妙なコレクションについて、うかつに話題に出すのは危険だ。それは予感というより確信に近い。感情にまかせて頭の整理もできないうちに問い詰めれば、宇田との信頼関係に悪い影響を与えるに違いない。

「そう、ならいいけど」

 宇田の視線は窓の向こうに向けられ、ちょうど段ボールのあるあたりを気にしているようにも思えた。ぼくは耐えられず目を逸らした。

 なんとか平静を装って、宇田と一緒に部屋を出た。途中まで並んで歩くあいだにも雑談をしたはずだが、内容はまったく覚えていない。

 手を振って別れ宇田が通りの向こうに姿を消すと、ぼくはすぐに立ち止まったままでポケットに入れた紙切れを取り出す。四つ折りにしたプリンター用紙には、片脚しかない男の写真が印刷されている。クリアファイルの中から思わず一枚だけ取り出して、持ってきてしまった。

 ちょうど左膝下あたりで切断された脚――ぼくの患部と状態はよく似ていた。被写体の顔は写っていないが、義足なしで椅子にすわっているのでハーフパンツの隅からつるんと丸くなった断端がのぞいていた。

 

 帰宅してすぐにラップトップの電源を入れるが、どんな言葉で何を検索すればいいのかわからない。そもそも、不特定多数の片脚の男の写真ばかりを集める理由なんて、この世の誰も知らないかもしれないのだ。

 脚 切断 写真 収集。震える指で、思いついた単語をでたらめに検索ボックスに入れてみた。そしてぼくは、事故や病気などで四肢を切断した人間の写真集がこの世に存在することをはじめて知った。中には戦場で体の一部分を失くした兵士の写真集まであった。

 自分のハンディキャップを見世物にするなんて……ひどく悪趣味な発想に思えてぼくはうろたえた。しかし商品の説明文を読むと、それらは障害を負った当事者たちが自身を肯定したり、仲間を励ますことを目的にしているようだった。ぼくは未来永劫そういう境地に到ることはできないだろうが、まあ発想としては理解できなくもない。

 だが、手当たり次第にそれらの写真集のレビューを読んでいくうちに、障害当事者とも支援者とも異なる「ファン」の存在に気づいた。もちろんそんな感想は、大手の書籍サイトのレビューには出てこない。だが、個人ブログやアングラな雰囲気の掲示板には彼らの生々しい欲望の声があふれていた。

《こういうことリアルで言うと引かれるので隠れた趣味にしていますが、正直欠損って萌えますよね》

《歪んだ性癖なのはわかってる。でもネットだとお仲間がいるので嬉しい。もっとメジャーになればいいのに》

《欠損娘のつるつるの断端で踏まれたい(笑)》

 彼らは「欠損フェチ」や「身体欠損性愛アポテムノフィリア」を自称し、体の一部が欠損している姿に対して性的興奮を感じるのだという。自作のイラストや漫画を投稿するウェブサイトには、手足のない人物――主にそれは美少女だったが――を性的に描いた素人作品がたくさん投稿されていて、ある種の人々のあいだでは決してマイナーな概念ではないようだった。

 人の趣味や性嗜好に文句をつけるつもりはない。テレビやネットでLGBTと呼ばれる人たちについて見たり読んだりしても嫌悪を抱くことはなかったし、なにしろいまでは自分が男と付き合っている。男同士の雑談で「おっぱいフェチ」や「尻フェチ」といった言葉で、他人の身体的特徴への嗜好を口にし合うことは珍しくないし、おかしいと思ったこともない。

 でも、さすがにこれはひどい。他人の身体的なハンディキャップやコンプレックスを欲望の対象として扱うことには、正直激しい嫌悪を感じてしまう。もちろんそれは自分自身が当事者であるからこその感情ではあるのだが――ぼくが死にたくなるほど悩んで苦しんだこの脚をポルノのように扱う人間がいるという事実はあまりに堪えがたい。

 そして、ぼくは宇田のことを思う。

「違う……宇田くんは、違う」

 画面の向こうにいる異常性欲者たちと宇田は違う。そう自分に言い聞かせようとした。

 衣服の代わりに包帯を巻きつけた、体のラインもあらわな少女。右手のひじから先、左脚の太腿から先が欠損した彼女は蠱惑的な表情で誘うようにこちらを見ている。可愛らしい絵柄と不似合いなまでに悪趣味なイラスト――宇田はこんなものに欲情する人間とは違うはずだ。

 不安と孤独と絶望に押しつぶされそうだったときに手を差し伸べてくれた人。彼のおかげで少しずつ外に出て、失った人生を取り戻すことができそうな気がしてきた。

 宇田は一度もぼくの脚について下世話な質問や冗談を口にしたことはない。事故や手術、いまの状態について質問するのは彼がぼくを理解しようとしてくれているからだった。だから、あの本や写真もきっと同じなのだろう。脚を切断するというのはどういうことなのか、他の患者はどんな状態でどのように生活しているのか。宇田はぼくのためにそういって情報を集めていた。そう信じたい。

 でも、本当にそうだろうか。

 態度は控えめだが、彼は頻繁にぼくの脚について聞きたがった。そこを見たがって、触りたがって、抱き合うときも必ずといっていいほど断端を撫でた。それどころか、どう見ても不格好な断端を「うつくしい」と言う。

 ――土岐津くんの脚は、きれいだ。

 大切な恋人であり唯一の理解者である宇田を疑いたくはない。だがその一方で、他人の身体欠損に欲情する人々の存在を知ったいまでは、彼の言葉や手のひらに別の意味を見出しそうになる。ぼくは頭を抱えた。

 

 月曜、火曜。不安なまま日が過ぎる。そして水曜の夜にはまた宇田がやってくる。ぼくは三日間、ほとんど家から出ずに過ごした。本村の実験を手伝う約束は「体調を崩した」と言ってキャンセルした。

 水曜の夕方になって、ミネラルウォーターを切らしていたことに気付いた。普段はまとめてインターネットショッピングで頼んでいる。六本パックがあとひとつ買い置いているはずだったが、どうやら思い違いだったらしい。すぐにネットで追加注文したが、一番早いスケジュールでも届くのは明日。少なくとも今夜飲む分の水は買いにいくしかなさそうだ。

 駅前のコンビニエンスストアに向かいながら、ぼくは宇田と付き合うようになってはじめて、水曜の夜が来ることを憂鬱だと感じていた。

 宇田は、異様なコレクションをぼくに見られたことを知らない。今日も普段どおりの顔でやって来るだろう。どんなふうに迎えようか。あの話をするべきなのか。彼との関係を維持するためには黙っている方が良いのだろうと思う。だが疑いを抱いてしまった以上、これまでと同じように宇田と抱き合える気はしない。

 宇田と出会った坂道を登りきって、大通りを渡ればすぐにコンビニに着く。レジの中には学生風の若い男が暇そうに立っている。通勤ラッシュにはまだ早いし、外はまだ暑い。客の少ない時間帯なのだろう。

 ドリンクコーナーの扉を開いてペットボトルを取り出そうとしたところで、背後を通りかかった店員がぼくの腰にぶつかった。

「あ、すみません!」

「いえ、こちらこそ」

 謝罪されて反射的に振り向くと、そこには見知った顔があった。僕を人気俳優に似ていると言っていたという、巻。互いを認識しているが、これまでは客と店員としてのレジでのやりとり以外、話をしたことはない。なんとも微妙な関係だった。

 一瞬気まずい間があって、巻はにこりと笑った。

「こんにちは、宇田さんのお友達ですよね」

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