第30話

 どうやらこれ以上逃げることはできそうになかった。

 宮脇に連行されたぼくはボトムを脱ぎ、義足を外して施術台に腰かけた。さっき診察室で処置してもらったばかりなのに、ガーゼにはもう血液やリンパが滲んでいる。

「あーあ、いろいろさぼっちゃってますね」

 穏健な態度を崩さなかった医者と比べれば、宮脇は遠慮も容赦もない。声色にもあからさまに怠惰を責めるニュアンスを込めてくる。

「こういう擦り傷って甘くみてしまいがちですけど、痛みをかばっているうちに変な歩き癖がついて、後々関節やら神経やらに二次障害が起こることもあるんですから」

 偉そうに説教されるのは面白くないが、正論すぎて反論する言葉もない。自分で管理できると啖呵を切ってリハビリを打ち切った手前、気まずくてぼくは視線をうつむけた。

 とはいえ、振り返ればこの程度の率直さや説教がましさは宮脇にとっては通常運転。過剰な私怨を感じさせるものではなかった。その後は淡々とした説明が続く。

「軟膏と、ガーゼの当て方はさっき先生から説明がありましたよね」

「はい」

「あと、ほら。包帯はこうやって、ちょっときついくらいぎゅーっと。自分で思うより厚めでちょうどいいと思います。うまく巻けないなら、ソックスタイプの断端カバーを重ねてもいいと思いますが、微調整にはやっぱり包帯が便利ですね」

「……はい」

 悔しいが、さすがプロフェッショナルだ。宮脇は包帯の厚みを利用しながら手際良くソケットとのフィッティングを調整していく。見ている分には自分でやるのと大差ないのに装着感は圧倒的に改善して、立って歩いてみると、さっきまでの苦痛が嘘のように動くのが楽になっていた。

 脱いだズボンを履き直すぼくを見下ろしながら、宮脇は付け加える。

から回復しても、十分筋肉が戻らないとか、肉付きが変わるとかあり得ますから。しばらく経っても違和感が消えないようならば、装具自体を再調整したほうがいいと思います」

「わかりました」

 施術自体はありがたいが、宮脇とまともに視線をあわせる気にも話をする気にもなれない。

「ありがとうございます」の言葉の代わりに軽く目礼をしてぼくはその場を去ろうとしたそのとき、宮脇が苛立ったように釘をさした。

「……あのですね、土岐津さん。俺個人への感情はどうでもいいし、担当を変更されるのも患者さんの自由です。ただ、いま話したのは全部大切な治療の話ですから、きちんと受け止めてくださいね」

 気のない返事しかしないので、アドバイスすら無視する気だと思われたのかもしれない。だが、こちらとしては話はきちんと聞いていたつもりだし、ああいった経緯でリハビリを打ち切った割にはお行儀良くしているつもりだ。宮脇の言っていることは完全ないちゃもんに思えた。

「わかってますよ。それに……もう宇田くんとは会ってないんだから、宮脇さんにあれこれ言われる筋合いもないです」

 棘をまぶした言葉を返すと、宮脇が驚いたように目を見開く。

「え?」

 ――なにが「え?」だ。しらばっくれた返事しやがって。

 むかむかとした嫌な気持ちが胸に込みあげてきて、ぼくは顔をあげると宮脇をにらみつけた。

「もうしばらく宇田くんとは会ってないし、もう二度と会わないって言ってるんです。宮脇さんは、それで満足でしょう」

 宮脇は噛み付くようにぼくに訊ねる。

「どうして、会うのをやめたんですか」

「それをあなたが聞くんですか?」

 真輔とはあまり親しくしないほうがいい、宮脇は確かにそう言った。それは宇田の幼馴染みとしての心配で、ぼくの治療担当者としての助言なのだと。つまり、宮脇はぼくと宇田が近づくこと、関係を深めることの危険性を知っていたはずだ。

 なのになぜ宮脇は動揺し、なぜこんなことを聞くのだろうか。それともわざと鈍いふりをして経緯を聞き出し、こちらの傷をえぐろうとでもしているのか。うんざりする。

「前回は『近づくな』で、今回は『なぜ会うのをやめたのか』ですか? だったらこちらにも質問がある。どうしてそんなことを聞くんですか? 宮脇さんは何を知っていて、本当は何が言いたいんですか?」

 質問に質問で返すと、今度は宮脇がうろたえる番だった。手に持ったままの包帯を困ったように弄びながら、口ごもる。

「いや、それは真輔のプライバシーに関わる話が……」

 ここに至ってもったいぶった物言いをされては、我慢も限界だ。

「何がプライバシーですか! 馬鹿にしないでください!」

 曖昧な言葉で真意を隠していた宇田。中途半端な忠告でぼくの心に不安を植え付けた宮脇。誰も彼も同じだ。思わせぶりな態度ばかりで、肝心なことはごまかそうとする。ふわふわとしたヒントだけを与えられたぼくがひとりで空回りして、傷つくのだ。

 隠しごとの数々を思い起こせば、宇田と宮脇がただの幼なじみでもう何年も会っていなかったというのもどこまでが本当なのかわからない。実はふたりで申し合わせてぼくをからかっていたのでは。そんなありえないことさえ考えてしまう。

「……それともプライバシーって、宇田くんが大量に脚のない男の写真を溜めこんでいることですか?」

 投げやりな気持ちになったぼくがそう告げると、宮脇は目を丸くして――それから脱力したようにつぶやいた。

「あいつ、そんなことしてたのか?」

 確かに驚いてはいる。だが、まったく「意味がわからない」といった風ではない。宮脇は宇田が隠していた特殊な趣味について知っていたのかもしれないと思った。

「ネットで、そういう趣味の人がいるって見ました。腕とか脚とかが欠損した人間に……性的魅力を感じるっていう」

 宮脇は眉間に皺を寄せて、苦悩するように唇を引き結んでいた。何を言うべきか必死に考えている、そんな姿だった。

「宇田くんがぼくに親切にしてくれたのは、結局そういうことだったんだなって。この脚に変な興味持ってただけなんだなってわかったから……悪いけどぼくはそういうのには付き合いきれなくて」

 宇田だけを悪者にするような言い方になっていることに多少の罪悪感はある。だが、こっそり宇田のベランダにあった箱を覗き見たことや、宇田を問い詰めたときに激昂して暴力的な行為に及んだことを宮脇に告げる気にはなれなかった。

 だが結果的には、ここで宮脇と話ができて良かったのかもしれない。ぼくと宇田はもう会わないし、宮脇の忠告も――その真意に気づくのが遅かったとはいえ、結果的には守った。これで完全に終わりにしよう。

 ちょっと不便だけれど駅前のコンビニには行かない。そうすれば宇田とも巻とも出くわすことはない。理学療法の担当者を変えてもらえば、宇田を思い出させる第三者との関わりは完全にゼロになる。

「そういうわけなんで、宮脇さんにもいろいろとご心配おかけしましたけど、もう過ぎたことなんで」

 今度こそ話を切り上げようとしたところで、宮脇が重い口を開く。

「いや、土岐津さんの理解は――完全に間違いではないけど、誤解がある」

「誤解?」

 ぼくは顔をしかめた。

 そんなこと宇田だって言わなかった。彼はぼくの糾弾を受け止め、反論することなしに去っていった。なぜ宇田本人が黙ったままでいたことを、わざわざ宮脇の口から聞かなければならないのか。

 面白くないし、聞きたくもない。だが、気持ちと裏腹にぼくの脚は床に貼りついたかのように動かない。それは、まだ興味があるから。未練があるから。そして、何も言い訳しなかった宇田が――まだどこかに本音を隠しているのではないかと心のどこかでは疑っていたからなのかもしれない。

 立ち去らないぼくを見て、宮脇は続きを促されていると思ったのだろう。ため息を吐いて、施術者用の丸椅子に腰かけた。

「真輔は、確かに俺たちから見れば奇妙な、普通じゃないともいえる考えに取り憑かれています。もう、ずっと前から。ただそれは多分、土岐津さんが思っているのとは違う」

「違うって……」

 だったらどんな可能性があるというのだろう。ぼくは、宇田が脚の切断手術や術後の写真が載った医学書を持っていることを知っている。たくさんの欠損写真を持っているのもこの目で見た。そしてこの世には少数の――しかし、ぼくが思うよりはたくさんの「欠損フェチ」なる人々が存在するのだ。他には何も考えられない。

 宮脇はまだ「真輔のプライバシー」とやらを気にしているのか、しばらくのあいだ言い淀んでいた。だが、最終的には再び口を開いて、言った。

「真輔は〈自分の左脚は存在すべきじゃない〉と信じているんですよ」

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