4. 王殺し

 ――王を殺しなさい。

 その声は突然どこからか響いた。

 時刻は昼過ぎ。煮炊き用の薪を集め、ついでにキノコや木の実、うまくいけば野うさぎくらいは捕まえることができるかもしれないと期待を抱いて男は森に入った。ちょうどならの木の下を通りかかったとき、高い場所にキラキラと輝く黄金の枝が目に入った。金色の枝など珍しい、一体どうしたことだろう。誘われるように手を伸ばし枝に触れたところで刺すように頭が痛み、「王を殺せ」という声が聞こえてきたのだ。

 ここは西の果て。怪力を持つ凶暴な蛮族ばんぞくが暮らすといわれている場所。しかし実際のところは「怪力」も「凶暴な蛮族」もただの噂に過ぎず、人里離れた山の奥に小さな集落があるだけだ。周囲を深い森に囲まれ他の部族との交流が少ないことから同族での婚姻が多く、そのためなのか一般的にこの集落の人々は男も女もおしなべて背が高く頑丈な体格をしている。もしかしたらそれが噂の元になったのかもしれない。噂は噂を呼び、今では国から国へ彷徨さまよい歩く旅人すらこの辺りを避けて通るのだと聞く。

 世間から疎まれる蛮族の集落にあって、この男はとりわけ惨めな境遇にあった。身持ちの悪い女にどこの誰と交わったのかもわからないまま産み落とされた男は、周囲の人々と比べてもひときわ体格が大きく、決して美しいとは言えない容姿をしていた。灰色の目は暗くよどみ、口数が少ないことから実の母からも「何を考えているかわからない」と嫌われた。もちろんそんな男を集落の人々が相手にするはずもなかった。

 それでも親は親であるから、彼は幼い頃からできるだけ母親を支えようと努力してきた。人の嫌がる雑用を引き受けては多少の食料を分けてもらい、暇さえあれば森で狩りをしたり池で釣りをしたり、少しでも生活を助けようとした。しかしその母も数年前に流行り病であっけなく死んでしまい、後には男だけが取り残された。

 歳は二十五を超えただろうか。疎まれ蔑まれている男の嫁になろうという女などいるはずもなく、今ではひとり寂しく集落の外れのあばら家に暮らしている。

 奇妙な声を耳にした男はまずは集落の悪童たちのいたずらを疑うが、どこにも人の気配はなかった。あまりに孤独なものだからとうとう幻聴を聞くまでになったかと自嘲気味に小さく首を振ると、声はさっきよりはっきり、より大きく繰り返した。

 ――王を殺しなさい。

 男はもう一度周囲を見回し、さらには天を仰ぐ。もちろんそこには誰もいない。人どころか、小鳥の一羽も飛んでいない。ただ金色の枝――それはよく見ると、ならに取りついたヤドリギの枝だった――が輝いているだけだ。

「誰だ。誰かそこにいるのか?」

 戸惑いながら問いかけるが、声の主は男の疑問に答えようとはしない。代わりに、一方的に告げた。

 ――おまえは東の王都おうとへ行き、王を殺すのです。

 王都というのは聞いたことはあるが、この集落からすら出たことがない男にとってはほとんど異世界のように遠く一切縁のない場所だった。もちろんそこに暮らすという王のことはまったく知らないし、知らないということはつまり、その人物を殺すような恨みもないということだ。

「俺は、王都なんか、王なんか知らない」

 声に向かいそう言い返す。一体何のために自分がはるか遠い見知らぬ場所まで出かけて行き、見知らぬ人間を殺めなければならないというのか。しかし声は止まなかった。

 ――いいえ、おまえはやるのです。おまえが終わらせなければならないのです。もし嫌だと言うならば……。

 そこで声は少し間を置いた。

 男はふっと、頭の中から何か大切なものが消えてしまうような感覚を味わった。

 ――今、おまえの名前を奪いました。これがひとつ目。王を殺せば返しましょう。

 その言葉のとおり、男は自分の名を思い出せなくなっていた。

 呼びかけてくる者などいないので、ほとんど意味のないものだったとはいえ、三十年近くも連れ添った名前を奪われることには奇妙な喪失感があった。

 声はさらに続ける。

 ――そして、ふたつ目。おまえの姿を奪います。これも、王を殺せば返しましょう。

「姿……?」

 姿を奪われるとは一体どういう意味だ? 聞き返す間もなく眩しい光が降り注ぎ、男は意識を失った。