9.  王殺し

 だが、男たちについて入り込んだ王宮の中庭で、バルコニーに現れた頼りない人影に向かって人々が歓声を上げるのを見て〈王殺し〉は目を疑う。

 ――子どもじゃないか。

 年の頃は十四、五だろうか。それは線が細い、まるで女のような顔をした少年だった。王という名称から想像していた凜々しさ、荘厳さ、ふてぶてしさ、そのいずれも欠片すら持ち合わせていない子どもが、いかにもお仕着せの美しい衣装を着て不安そうにまつげを震わせている。

 多くの人々の前に立つことや、その歓声を浴びることにすら怯えているような〈少年王〉の姿に〈王殺し〉はひどく動揺してしまう。何しろ〈王殺し〉は不思議な声の主から王を殺すよう命じられたのだ。

 与えられた使命を果たさなければ名前も人間の姿も返してもらえないのだから、一刻も早く王を殺すしかないと思っていた。もちろん一切の面識もなく、恨みなどあるはずもない相手だからためらいはある。だから心の中でひたすら、自分が殺すことになる王が悪い奴であればいいと思っていた。ひどい暴君で圧政をひいていたり、どうしようもない痴れ者で人々を悩ませていたり、そういう相手であれば少しでも良心の呵責かしやくは少なくなる。だが、あれはどうだ。ただの貧弱な子どもではないか。金銀細工の飾りを山ほどつけた腕を重そうに持ち上げ彼が小さく手を振ると、民衆は歓声をあげる。だが、その中には少なからず懇願の響きも混ざっていた。

「我が君よ、どうぞご慈悲を」

「雨を、雨を降らせてください〈少年王〉」

「この国のすべてはあなたのお心次第。ほんの少しの雨をどうかお恵みください」

 辺境で生まれ育った〈王殺し〉は、王というものをろくろく知らず育った。王とはこのような子どもで、このような――まるで神に祈りを捧げるような扱いを受けるものなのだろうか。確かに王都周辺の干ばつはとりわけ深刻で、〈王殺し〉自身も水が飲める場所すらなかなか探せずにいる有様だが、だからといってあんな頼りない子どもに祈って雨が降るようにはとてもではないが思えない。

 やがて時間が来たのか〈少年王〉は再びバルコニーの奥に姿を消した。中庭に集まっていた大量の民衆もばらばらと王宮の出口に向かいはじめる。そこで〈王殺し〉はさっきの歓声とはまったく異なる声を聞いた。

「しかし、どう思う? あの〈少年王〉。もう百日も雨が降っていないぞ」

「そう言うな。王は神でありこの国そのものなのだから、王のご慈悲以外に雨を降らせる方法などないではないか」

「ならば、なぜ雨が降らない。〈少年王〉が善性に満ちた正しい王であれば、国をこのような苦難に追いやるものか」

 ところどころから聞こえてくるのは〈少年王〉への不信の言葉。雨を降らせる力を持つはずの彼が自らの役割を果たしていないから干ばつが起きている、人々の多くはそう信じているようだった。

 だがそんなこと〈王殺し〉にとってはどうだっていいことだ。干ばつなど関係ない。いくら気が引けようと、あの〈少年王〉を殺して人間の名前と姿を取り戻すことだけが彼の望みだった。あんなにも細くて柔らかそうな喉は、この鋭い獣の牙でひと噛みするだけで簡単にちぎれてしまうに違いない。決して難しくはないだろう。しかしそう考える心はなぜかどんよりと重かった。

「おい、野良犬、出て行け」

 気づけば人々は王宮を去り〈王殺し〉だけがそこに取り残されていた。衛兵が近づいてきて、早くどこかにいけとばかりに槍でけしかけてくる。キャン、と情けない声を上げて〈王殺し〉は飛び退いた。ここで武装した相手とやりあうのは得策とは思えない。いくら鋭い牙と優れた身体能力を持っていたところで一匹の獣にすぎないのだから、王宮の兵隊たちにかこまれればひとたまりもない。

 逃げるようにいったん王宮の外に出て〈王殺し〉は考える。確かに向かい合ってしまえば、あんな子どもを殺すのは造作もない。しかしそれ以前に王宮の中まで入り込むのが難しそうだ。今の自分はどこからどう見ても怪しい獣である上に無駄に図体は大きく目立つ。人々の話に耳を傾けるに毎日午後の同じ時刻に〈少年王〉はバルコニーに立つようだが、いくら〈王殺し〉の身体能力が優れていたとしてもあんな場所まで飛び上がることはできない。

 夜の闇に乗じるか。王宮の周囲をくまなく見て回れば、どこか警備の薄い場所があるかもしれない。そこから忍びこんで、夜のうちにどうにか目立たぬように〈少年王〉の居室を見つけることはできるだろうか。とりあえず日が暮れるのを待つことにして、それまでどこか目立たない場所で少し休むことにする。路地裏、もしくは一度街の外まで出てしまうか――迷っているそのときだった。

「おい、ババア。誰の許可をもらってここで商売している」

 大きく乱暴な声が聞こえてきた。獣の聴力は人より鋭いから暴力的なだみ声はとりわけ不愉快に響く。声の方向に目をやると、道の片隅に布を広げてなにやら商売をしようとしている老婆を一人の兵士が怒鳴りつけていた。