なにしろ奇妙な光景だ。記憶の中から少しでも似た映像を探してみると、浮かんでくるのは故郷の村にいたころに牛馬や羊といった家畜が体を洗われている様子。それでもまだ動物たちは快不快を表情や動作ではっきりと表現していたものだが、五人を超える侍女たちにかこまれて、湯船の中で身をすくめている〈少年王〉は完全に黙り、うつむき、萎縮している。
王というのはこのような扱いを受けるのが通常なのだろうか。だとすれば、いくら豪華な部屋で美しい身なりをしてたくさんの人々にかしずかれて、今や貴重品である水を大量に使って湯浴みしているといえ、そんな王に対して〈王殺し〉の心に一切羨ましい気持ちは浮かんでこない。それどころか、自分の十五歳の頃を思い出して、もしもあんな風に裸のまま年上の女たちに囲まれれば羞恥で死にたくなっただろうと断言できる。
忌み嫌われて一人きりであるのは惨めだが、いくら丁寧であっても物や家畜のように扱われるのはどんな気持ちだろう。〈少年王〉の表情の暗さからして彼がこの状況を喜んでいないのは明らかだ。
数時間もかけて〈少年王〉の体はぴかぴかに磨き上げられた。銀の髪はきれいに梳かれ、瓶から取り出した液体が振りかけられるとその甘い香りは〈王殺し〉の潜む場所にまで漂ってきた。それから昨日、王の挨拶のときに身に付けていたような豪華な衣装や装飾品を次々纏わされ、〈少年王〉は飾り立てられていく。今日の衣はうっすらと紫がかった中に、彼の髪とよく似た銀に光る糸が織り込まれている。
あんなに重そうなものであれこれ飾りつけられて暗い顔をしているよりは、簡素な寝間着で笑っている姿のほうがよっぽどいい。だが、あの取り澄ました侍女たちは〈少年王〉の夜の姿など知るよしもないのだろう。そう思ったところで〈王殺し〉は、自分が彼らの知らない〈少年王〉の打ち解けた姿を知っていることに、なんともいえない優越感を抱いていることに気づいた。
誰かから特別に気を許されること、誰かから特別に親切にされること。人生で一度も経験したことのない事態に〈王殺し〉の心はあまりにもろく単純だ。とはいえ自分はあの子どもを殺さない限り一生醜い獣の姿のままでさまよい続けなければならない。そのことを考えると不思議と胸の辺りがちくちくと痛みはじめた。
長い身支度を終えると〈少年王〉は人々に連れられて部屋を出て行った。
数人の侍女が部屋に残り、湯浴みの後片付けをして、寝乱れた寝台を整える。自分の潜む寝台のすぐ側に話し声が近づいてくると、さすがにおそろしくて〈王殺し〉は腹をぺたりと床にくっつけてできる限り身を小さくし、息を殺した。
「まったく、せめて湯浴みに使う分くらいは降らせてくれたっていいんじゃないのかしら。こっちはろくろく髪も洗えないっていうのに」
ひとりの侍女がため息交じりにつぶやくと、別の声がすぐさま諌める。
「止しなさいよ。陛下も毎日午後はずっと、祈りの部屋にこもって雨乞いをされているんだから。もう少し待ちましょう」
「でも、もう百日を超えたわ。街の人々の不満も相当なものよ。貧民街では病気や餓死者も出てきたっていうじゃない。笑いも喋りもしないし、やっぱりあの〈少年王〉は何かおかしいんじゃないかしら。このままじゃ遠からず……」
「ちょっと、誰が聞いているかわからないんだから」
さっきより強い調子で制止されて、不満を口にしていた侍女は渋々黙った。
街中だけでなく宮中でも確実に〈少年王〉への不満は大きくなっている。だが、「このままじゃ遠からず」何が起こるというのだろうか。雨が降らないこと、人々があの少年の王としての素養に疑問を感じていること。それらと〈王殺し〉の身に起こった不思議な出来事の間には、もしかしたら関連があるのだろうか。
〈王殺し〉は最初、王が暴君であればいいと思っていた。殺すことに一切のためらいや良心の呵責を伴わないひどい奴であればいいと願っていた。だが今、あの〈少年王〉の儚い外見や物腰に獣の心は同情を覚えている。彼が弱いから――彼が優しいから――彼が善良だから。だが、この国土を潤すことが王としての義務なのだとすれば、そして国が渇き苦しんでいる責任が彼にあるのであれば、〈王殺し〉に与えられた任務こそ正義といえるのではないか。
だが〈王殺し〉は、自分が王を殺した後で何が起こるのかを知らない。
あの声が嘘を吐いていないのだとすれば、少なくとも自分自身は元の名前と姿を取り戻すことができるだろう。しかし、この国はどうだ。彼が死ねば誰が新しい王になるのか。新しい王は雨を降らせて国を救うことができるのか。それらの確信が得られれば自分はためらうことなく〈少年王〉を殺すことができるのだろうか。
ぼんやりと思い悩んでいるうちに、部屋の中からは人の気配が消えた。それでもなんとなくおそろしくて〈王殺し〉は寝台の下から動けずにいた。そのうち少しうとうとと眠り、再び人の足音に目を覚ましたときには外はすっかり暗くなっていた。
「今日はちゃんと召し上がってください」
口うるさい侍女の声が、食器類を並べる騒々しい音に混じる。ついでに食べ物の良い匂いが漂ってきて寝台の下の〈王殺し〉も必死に腹が鳴るのをこらえた。昨晩たくさんの木の実や果実を口にしたが、今〈王殺し〉の鼻をくすぐるのは肉や魚の濃厚な香り。どちらがより魅力的かといえば、言うまでもない。
「ちょっと疲れたから……少し時間をあければ食べられると思うんだ。テーブルはそのままにして、今日はもういいから……」
か細い声で〈少年王〉が訴えると、何やらやりとりがあってから、人々の足音が遠ざかり扉が閉まった。すると〈少年王〉はいそいそと寝台の下をのぞきこみ、そこに〈王殺し〉の姿を見つけると、ほっとしたように笑った。
「よかった、まだいてくれたんだ」