18.  少年王

 食事を終えると〈少年王〉は、なくなっても気づかれないような古い衣服を探し出して水で湿らせると獣の体を拭き清めることにした。お湯で洗ってやれれば良いのだろうが、侍女たちに湯浴みの後の浴槽をそのままにしておいてくれと頼めば、さすがに不審に思われてしまうだろう。

「冷たかったらごめん。お願いだからじっとしていて」

 腹がいっぱいになり眠くなったのか、床にくつろいだ獣の目は少しとろんとしているようだ。近づいて触れてもとりたてて抵抗する様子もないので〈少年王〉は思う存分その温かさを堪能することができた。

 湿らせた布で丹念に汚れを拭き取ると黒褐色の硬い毛皮にはわずかながら艶が出てくるようで、〈少年王〉はますます夢中になって獣の体をこする。獣自身もまんざらでもないのかもしれない。灰色の目を細めてうとうとしはじめた。

 厚い毛皮の奥を探っていると、体のあちこちに治りかけの傷があることに気づく。獣同士の喧嘩なのか、どこかで人に追い立てられたのか。なんとなく〈少年王〉は後者が原因なのではないかと思った。この生き物は犬に似ているが犬ではなく、狼や熊とも近いようでいて、そのどちらでもない。彼は書物でしか動物を知らないが、本の中ですらこのような獣を目にした記憶はなかった。

 鋭い牙を持つ奇形の獣。もしくは化け物。偶然この生き物と出会った人間がそう判断して危害を加えようとしたとしても納得はいく。何しろ〈少年王〉自身も最初に出会ったときは、間違いなくこの獣は自分を襲って食い殺すつもりだと信じて腰を抜かしかけたのだ。そのことを思い出すと、おとなしく自らに身を委ねる獣に対して申し訳ない気持ちがこみ上げた。

「怖いなんて思って、ごめん」

 腹のあたり、渇いた泥のせいで硬くわだかまっている毛をほぐしながら〈少年王〉は獣に話しかける。第一印象とは異なり、触れ合ってみればこの動物は穏やかで、どう猛どころか臆病なくらいだ。最初に牙をむいてきたのも、今思えば警戒していただけなのかもしれない。

 一体この獣はなぜあんな時間にあんな場所にいたのだろう。もしかしたら、誰かに追われて間違って王宮に迷い込んでしまったのだろうか。

「君はどこから来たんだい? 家族や仲間はどこかにいるの?」

 話しかけながら、複雑な思いに襲われる。哀れな醜い獣。こんな姿をしてひとりぼっちでいるのならば、可哀想だ。でもどこかに家族や仲間がいるのならば、じきこの生き物は〈少年王〉の部屋から出て行き元いた場所に帰りたがるだろう。

 まだたった一日しか一緒にいないのに〈少年王〉はこの生き物に親密さを感じはじめていた。口もきけない動物が自分だけの秘密の友人であるかのようで、この生き物が自分の元からいなくなってしまうことを考えると寂しくなった〈少年王〉は獣の頭を自分の膝に抱き寄せた。

 獣は目を開いて〈少年王〉をじっと見つめる。暗い瞳はよく見れば優しく賢そうで、先ほど夕食を食べるよう勧めてきたことといい、もしかしたら人間の言葉や気持ちを理解しているのかもしれない。だから〈少年王〉は浅ましい気持ちを悟られる前に自分から口にした。

「ごめんね。君もひとりぼっちだったらいいのに、なんて思って。僕がひとりぼっちだからって、君もそうならいいだなんて。こんな考え間違っているね」

「……ウウ」

 肯定しているのか否定しているのかわからないが、獣は小さくうなる。少なくとも〈少年王〉の独り言に付き合ってくれるつもりはあるようだ。

「ひとりぼっち……」

 もう一度言葉に出してみると、ちくりと胸の奥が傷んだ。

 うすうす自覚はしていたけれど、できるだけ目を背けてきた。しかしこうして口に出すと、王宮でたくさんの人に囲まれていながら自分がずっとただひとりの味方もいない孤独な日々を送っているのだと改めて思い知る。

 親や兄弟というものを知識としては知っているが、〈少年王〉にはそういった存在はいないのだという。なぜならあなたは王であり神だから市井の人々とは違うのだ。そう筆頭賢者に言い切られてしまえば、納得しないわけにはいかない。

「僕は本当に王なのかなって、たまに思うよ。だって僕には何の力もないから。でもみんなは、この輪を着けて生まれてきたから間違いないって言うんだ」

 左足首に巻きついた黄金のアンクレット、これこそが王の証明だと誰もが口を揃える。そして、王として生まれついたからには、一生にわたって王として民のために生きるしかないのだと。

 だが、それでも思う。

 自分がこの国の王で、神で、生まれつき普通の人間とは違った存在だというのならば、どうしてこんなに心が苦しいのだろう。自分の境遇を当たり前だと思い自信を持って日々を過ごすことができないのだろう。なぜ願い通りに雨が降ってくれないのだろう。

 ひとつ大きなため息をついた〈少年王〉を慰めるように、膝の上の獣はぺろりと手を舐めた。

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