19.  王殺し

 急に〈少年王〉が寂しそうな顔をするので〈王殺し〉は焦った。気持ちよくうつらうつらしていたのに、眠気も一気に覚めてしまったくらいだ。

 一体どうしたというのだろう。満面の笑みを浮かべて〈王殺し〉を寝台の下からおびき出して一緒に食事もした。楽しそうに体を拭いてくれていたのに突然憂鬱そうな顔を見せるのがなぜなのかはわからないが、彼が自ら口にした「ひとりぼっち」という言葉に反応していることは、おぼろげに理解できた。

 ひとりぼっち。

 これまで〈王殺し〉は、「ひとりぼっち」というのは人々から冷たくされたりつまはじきにされたりして、周囲に誰もいなくなってしまった場合に使う言葉なのだと思っていた。そして、西の果てで人間の姿で暮らしていた頃の〈王殺し〉の生活は、母親を失って以来まさしく「ひとりぼっち」そのものだった。

 ここでの〈少年王〉の生活は〈王殺し〉が考えていた「ひとりぼっち」とはまったく違っている。彼の周りにはたくさんの人がいるし、誰かが〈少年王〉に冷淡な態度をとったり、つまはじきにしたりといったことはない。むしろ彼はとりわけ丁寧に大切に扱われているといって間違いないだろう。豪華な食事、整った広い部屋、美しい装い。多くの人々が彼にかしずき、彼のために動き働いている。

 そもそも〈王殺し〉は人からさげすまれる私生児で、姿も不格好なら頭だって良くない。他人に好かれる要素などまるでない。しかし〈少年王〉はこの国で一番愛されている権力者で、しかも若く美しく優しい。彼が誰かに嫌われたり疎まれたりする理由などどこにもないように見える。

 だがおそらく〈少年王〉は自分自身のことを「ひとりぼっち」だと思っている。そして〈王殺し〉もたった一日彼を眺めただけで、やはり〈少年王〉の中に自らとは異なる種類の孤独を感じとっていたのだ。

「ヴヴ……」

 小さく鳴いて〈少年王〉の手を舐める。もし自分がひとの形をしていれば、抱きしめるとか頭を撫でるとか優しい言葉をかけるとか、何か別の方法があったのかもしれない。いや、嫌われ者の自分がそんな方法で慰めようとしたところで彼は気味悪がるだけだろうから、だったらまだ今のような獣の姿でいるほうがましなのかもしれない。

〈少年王〉にも〈王殺し〉の気持ちがいくらかは伝わったらしく、白い手をぺろぺろと舐めているうちに暗く沈んだ顔にほんの少しだけ微笑みが戻った。

「ここにはたくさんの人がいるだろう。でも僕の姿を見てくれる人も、僕の話を聞いてくれる人も、誰もいないんだ。僕はみんなの言うとおりにしていれば良くて、侍女たちの言うとおりに礼儀正しくして、宰相の言うとおりに国民に接して、筆頭賢者の言うとおりに祈りを捧げていればそれだけでいいんだって。ずっとそう思ってたんだ」

 舐められていない方の手で〈少年王〉は〈王殺し〉の体を優しく撫で続ける。彼に触れられるとこれまで感じたことのないような温かい感覚が体の奥から湧き上がり、〈王殺し〉はとろんとした、妙に寂しくて優しいような気持ちになってしまう。

 だが、次に〈少年王〉が口にした言葉は〈王殺し〉の温かい気持ちに冷や水を浴びせた。

「でもね、このままだと僕は死ぬんだ」

 驚きのあまり毛が逆立ってしまい、動揺しているのがばれてしまった。〈少年王〉は〈王殺し〉の反応に敏感に反応した。

「ごめん、物騒なことを言ったからびっくりしちゃった? 君はやっぱり賢いんだな。僕の言葉を理解しているんだね」

 だが、それは間違いだ。〈王殺し〉が動揺したのは〈少年王〉の言葉が物騒だからではない。自分が彼を殺しにきたことがばれたのかもしれないと思い、恐ろしかったのだ。賢い〈少年王〉はもしかして最初から獣の正体に気づいていたとでもいうのだろうか。二人のあいだにわずかな緊張が走り〈少年王〉は小さなため息を吐いた。

「このまま雨が降らなければ、僕はきっと焼かれてしまう。僕の前にいた〈旧い王〉も雨を降らせることができなくて焼かれたんだって。王が正しい心を持っているなら雨が降るはずで、国が渇いて苦しむのだとすれば、それは僕が正しくない……悪に取り憑かれているんだって皆は言うよ」

 その話のうち半分は〈王殺し〉もすでに知っていた。だが、前の王が雨を降らせることができずに焼かれたという話は初耳だ。もちろん〈少年王〉が彼の前任者と同じように焼かれてしまうことを恐れているということも、今初めて知った。

〈王殺し〉が人間の姿と名前を取り戻そうとするならば、〈少年王〉は獣に喰い殺される運命にある。だがたとえ〈王殺し〉が彼を殺さなかったとしても、このまま雨が降らなければ結局のところ焼かれるというのだ。

 この国の王とは一体何なのだろう。元々は王を殺すつもりでここに入り込んだ〈王殺し〉だが〈少年王〉の人柄に触れるにつれて戸惑いを覚えるようになっていた。戸惑いは今では明確な迷いに変わり、目の前の少年を殺さなければ本当の自分を取り戻すことはできないことへの焦りと、この孤独な子どもを守ってやりたいという気持ちの間で板挟みになっている。そんな〈王殺し〉の迷いをますます大きくするのは〈少年王〉の絶望的な言葉だった。

「でも僕は、これ以上雨が降らないなら、もう焼かれたってかまわないと思ってるんだ。祈り続ける自信がない」