翌日、牢から出された〈少年王〉は審議会の面々の前に引き出された。どうやらまだ獣の行く末は知れないらしい。うまく逃げていればいいのだけれど、と気がかりに思いながらも捜索の結果を訊ねることははばかられた。
審議会は、名目上は〈少年王〉の諮問機関ということになっている。名目上、というのは、この国の在り方について決めるのはもっぱら諮問機関の上位者である宰相と筆頭賢者で、〈少年王〉には彼らの決定を追認すること以外が求められた試しがないからだ。
獣に傷つけられた体はまだ痛むし、地下牢ではろくに眠ることもできなかった。両腕は体の後ろにまとめて荒縄で縛られ、広間の真ん中まで引きずられたところで衛兵が〈少年王〉の膝裏を蹴った。それはごく弱い力だったが〈少年王〉はつんのめって床に倒れ込む。体勢を立て直そうとなんとか膝で立って顔を上げると、見下ろしてくる筆頭賢者と目が合った。
「陛下、なんというお姿ですか。幼いころから見守ってきたのに、嘆かわしい」
嘆く声にはそれなりの感情がこもっていた。昨日祈りの間で筆頭賢者が見せた驚きや獣への怒りも〈少年王〉の目には本気であるように映った。自分は彼を失望させてしまったのだろう。そのことは率直に申し訳なく思える。
これまでの十五年近い日々、筆頭賢者からも他の臣下からも特段の愛情を感じたことはないが、だからといって悪意を感じたこともない。だが今日は、彼を見下ろす人々の目にはあからさまな失望と蔑み、そして少しばかりの恐怖すら混ざっている。
筆頭賢者の隣に立っていた宰相が、侍従長に呼びかける。
「侍従長、陛下の部屋を確認したそうだな」
「ええ。昨日陛下の寝室をくまなく確認した結果、寝台の下に泥が落ちているのを見つけました。そこに押し込んであった古着はやはり泥だらけで、黒っぽい獣の毛がついていました。それに、侍女たちが言うには一昨晩の陛下は様子がおかしかったとか??」
続いて、毎日〈少年王〉の身の回りの世話をしてくれていた侍女のひとりが広間に呼び入れられる。彼女はひどくおそろしいものを見るように横目でちらりと〈少年王〉の姿を見やると、震えながら審議会の面々に訴えた。
「おかしいと思ったんです。普段ろくに召し上がらない陛下のお部屋の果物籠が空になっていました。それどころか、夕食は準備だけして出て行くよう命じられたところ、翌朝はきれいさっぱり何も残っていませんでした」
「ふうん。つまり陛下は二晩ほど、泥まみれで黒い毛を持つ何かを部屋に入れ、食べ物を与えて世話をしていたということになるのかな。どうですか、陛下?」
問いかけてくる宰相に〈少年王〉はうつむいたまま肯定も否定もしない。どうせ何もかもばれてしまっているのだから、今さら言い訳をしたところでただ惨めなだけだ。唇を噛んでただ押し黙っていると、今度は筆頭賢者のため息が聞こえる。
「陛下、黙っていれば認めたも同じですよ。あなたはあの獣を匿い、情人のように扱っていたのですか。そして、神聖なる祈りの間に招き入れ、あろうことか民のために祈るための時間に交わったのですか」
それは事実ではない。あの獣を部屋に招いたのは自分だが、情人のように扱ったつもりはない。そして、なぜあの獣が密室であるはずの祈りの間に入ってきたのかもわからない。だが〈少年王〉が獣と交わったことに間違いはなく、その一点さえ正しければ他の何もかもは筆頭賢者にとっても、その他の人々にとっても問題にはならないのだ。
「時間ですな」
その声を合図にカーテンが開き、眩しすぎる太陽の光がさんさんと部屋に注ぎ込んだ。
こんな日も、いやこんな日だからこそなのか、憎らしいほど空は晴れ渡りそこに雨の気配は一切ない。カーテンの先には大きな窓、そして窓の外には見慣れたバルコニー。宰相はつかつかと〈少年王〉に歩み寄ると彼の両腕を拘束する縄をつかんだ。
「さあ、陛下。王の挨拶のお時間です。民に向き合ってください。誠実に」
外からはいつものように歓声が聞こえる。違っているのは、王宮の内側。
今日の〈少年王〉は美しい衣装も、飾りも身につけていない。粗末な麻の服に髪はぼさぼさで、後ろ手を縄で縛られた惨めな格好でいる。
バルコニーに引き立てられながら〈少年王〉の脚はがくがくと震えだした。
昨日、獣との情事の痕跡を見とがめられてからも、このような恐怖は感じたことがなかった。筆頭賢者も宰相も、侍従長も衛兵も怖くはない。だが、民は。彼自身の民のことを思うと罪の意識に全身がおののいた。
――僕は雨を降らせることができなかっただけでなく、本当に皆を裏切ってしまった。王を信じ、敬い、長い間集まり祈ってくれた民を最悪の形で失望させてしまった。
バルコニーの下に集まった人々は粗末な服を着て後ろ手を縛られた〈少年王〉の姿を見ると驚きに静まりかえった。
長いこと続く日照りに堪えかねて昨日は罵声が投げかけられた。だが、いくら何でもその翌日に王がこのような姿を見せるとは彼ら自身想像もしていなかったに違いない。人々の戸惑う様子を見るのが辛く〈少年王〉は思わず目を伏せるが、宰相は彼の細いあごをつかみ強引に前に向けた。そして、朗々と告げる。
「民よ。今日は皆に審判を仰ぐ。我らが陛下は――とうとう悪に堕ちた」
沈黙。そして人々は不安げに言葉の続きを待つ。
宰相は彼らに残酷な宣告をすることに、むしろ倒錯的な喜びを感じているようでもあった。声はより大きく、高らかに響く。
「陛下は我々に隠れて、悪の使いたる獣を部屋に招き入れ、あろうことかその獣と交わった。嘘ではない、筆頭賢者はその現場を見た。王の体にも痕跡が残っている」
ぐっと力を入れて引かれれば〈少年王〉の上衣がはだける。
青白い肌に生々しく、そして艶めかしく残るひっかき傷や噛み後に、人々の沈黙はやがて嫌悪の色を帯びはじめる。
「これこそが王が悪に魅入られた証拠で、王の悪行ゆえに我々の国に干ばつという災いが起こったのだと」
宰相がそう告げるに至って、どこからともなく声が上がった。
「王を焼け」
最初はひとりの声。
もしかしたら昨日罵声を発した男だったかも知れない。
続けて同調した他の誰かが「王を焼け、汚れた王を焼け」と繰り返す。ひとり、ふたり、やがて声は重なり、大きくなり、中庭に集った民衆が皆して同じ文句を繰り返しはじめた。
「焼け! 王を焼け!」
自分の処刑を願う人々の声が地鳴りのように大きくなる中で、〈少年王〉はただ黙って立ち尽くした。