33.  王殺し

 王宮の中庭、中央あたりに薪が積み重ねられているのが見える。そのすぐ隣にはまだ寝かされた状態の、木を組んで作った十字架が置いてある。人が火刑に処されるところなど見たことない〈王殺し〉だが、その十字架が何のためのものなのかは容易に想像できた。

 自らの首に刃を当てた〈少年王〉の鬼気迫る勢いに負けて〈王殺し〉は牢獄を後にした。もはやあの少年自身は生き延びたいという希望を持っていないこと、何より彼のために周囲の人間が傷つけられることを嫌っている。そんなこと百も承知だ。それでも〈王殺し〉はあきらめきれずに王宮の敷地内に留まった。

 植え込みの中に潜んでいる獣を探し出そうとする兵士がいないのは幸いだった。衛兵隊が少年王の願いに従っているというよりは、磔台の設営や、この「一大イベント」の広報で手一杯になっているからなのかもしれない。

 もちろん〈王殺し〉に、ただの観客として〈少年王〉が焼かれるところを眺めているつもりは毛頭ない。あの少年が望もうと望むまいと、他の誰でもない〈王殺し〉自身が〈少年王〉を死なせたくない――今心にあるのはそれだけだ。

 西の果てで聞いた不思議な声は、王を殺せば名前と姿を返してやるのだと言った。〈少年王〉を死なせないと決めた以上〈王殺し〉は一生この醜い獣の姿で、人の言葉すら話せないまま生きていくことになる。彼を奪い逃げ出したところで、獣と少年がどこでどうやって生きていけるのかなど想像もつかない。だが、そんなことは後から悩めばいいことだ。今はただ、彼を取り戻すことだけを考える。

 昼過ぎには王都の人々が集まりはじめた。中庭の光景自体は王の挨拶のときと変わらない。ただ違っているのが、今日の彼らのお目当てがバルコニーで手を振る〈少年王〉ではなく、薪の上で焼かれる〈少年王〉であることだ。

 ――この国では厄災が起こるたびに繰り返されてきた儀式。〈王殺し〉は〈少年王〉に好意を持っているからこそ残酷で野蛮だと感じるが、長い干ばつと酷しい飢饉の日々を前に人々が何かにすがらずにはいられない、その気持ち自体は痛いほど理解はできた。

 突然ラッパの音が響いた。

 続いて遠くから〈少年王〉の到着を知らせる声が響くと人々が視線をそちらに向ける。もちろん〈王殺し〉も植え込みの木々の隙間から衛兵隊の列が近づいてくるのを注視した。兵士たちが前後を守り〈少年王〉は輿に乗せられた状態で運ばれている。金銀で飾られた美しい輿の上にちょこんと行儀よく座り、その左右には宰相と筆頭賢者が付き添っている。

〈少年王〉の姿は、麻の衣だけをまとって冷たい牢の中に座っていた姿とはまったく異なっていた。銀の髪は美しく梳かれ、これまで見たことのないような朝焼けと夕焼けの混ざりあったような美しい色の衣をまとっている。その肌は玉のように磨き上げられ、髪や手足は、数は多くはないものの品の良い宝飾品で飾られていた。

 今まさに焼かれようとする〈少年王〉の姿はただただ美しく、荘厳だった。その美しさには、野蛮な興奮に取り憑かれたようだった観衆すら思わず言葉を失うほどだった。

 おかげで〈王殺し〉は一瞬、あの神々しい雰囲気に人々が王を焼くという判断を考え直すのではないかと期待したが、残念ながらそのような奇跡は起こらない。しばし静まり返った後で人々の興奮はさらに高まる。もしかしたら貧相な格好をした少年を焼くより、美しく神がかった王を焼く方が彼らの気持ちを煽るのかもしれない。

 磔台のすぐそばで輿は下ろされた。周囲にはたくさんの衛兵が控えていて、〈王殺し〉は〈少年王〉を奪回するタイミングを伺い必死に場の空気を読もうとする。

 一気に加速して、ここから磔台まで何秒かかるだろう。いくら細く頼りないとはいえ人ひとりを咥えて走ることは難しいから〈少年王〉自身が獣の体にしがみついてくれなければ連れて逃げることもできない。彼が今朝のような頑なな態度のままでいた場合、何もかもは徒労に終わる。〈王殺し〉は兵士たちに殺され。〈少年王〉は磔にされ焼かれる。今はただ、〈少年王〉の翻意を祈るばかりだった。

 輿から降りた〈少年王〉の様子は普段とは違って見えた。一見堂々と落ち着いているようだが黒い目に光がない。〈王殺し〉を惹きつけて離さないあの優しく寂しい光がどこにも見当たらないのだ。凛としているというよりは、心が麻痺しているようだと言った方がしっくりくる。まさか、祈りの時間に使っていたような薬を与えられているのだろうか。判断や感情が鈍っているのだとすれば、彼は突如現れる〈王殺し〉にどんな反応を示すのだろう。

 まったく抵抗しない〈少年王〉の体を、兵士が数人がかりで十字に組んだ木材にくくりつける。その横では宰相が高らかに「〈少年王〉が焼かれる理由」を宣言した。

「我らが王は、この十五年近く国を守り治めてくださった。しかし残念ながら、王の心は汚れた。彼はもはや我らの守護者ではない、神でもなく、我らが国そのものでもない。彼が心を悪に預け、醜く野蛮な獣と密通し、それにより我らに長い干ばつとそれに伴う苦難をもたらしているのだ。よって昨日王都の民の総意で決定したように、今、我々は王を焼くのである」

 力強い言葉に、観衆の側から大きな歓声が上がる。

「そうだ、王を焼け」

「早く火をつけろ!」

 磔台が積まれた薪の真ん中に立てられる。それでも〈少年王〉の表情は変わらない。不安定な格好で磔にされているので少し苦しそうではあるが、特段苦痛の声を上げることもなく感情を失った目でぼんやりと彼の民を眺めている。

 あの美しい目が光を失っていることは〈王殺し〉にとってはひどく悲しいが、一方でまさに今、人々が歓喜の声を上げて着火の瞬間を待ちわびているところを〈少年王〉本人がはっきり認識できないのだとすれば、それは救いなのかもしれない。

 着火の役は筆頭賢者に任されているようだった。衛兵隊長が持ってきた明るく燃え盛る松明を受け取り、頭上に一度高く掲げてから、ゆっくりと薪の山に近づける。

 ――今だ。今しかない。

 その瞬間〈王殺し〉の後ろ足はかつてない強い力で地面を蹴った。のろまな衛兵たちが反応できない風のような速さで礫台まで走り、力の限り筆頭賢者に体当たりを食らわせた。

「うわあっ」

 老人が情けない声を上げて倒れ、松明は地面に転がる。〈王殺し〉は立ち止まることなく十字架に駆け寄り、まずは〈少年王〉の足首を縛り付ける縄を噛み切ろうとした。しかし幾重にもきつく縛られたそれは、鋭い獣の牙で噛み付いたとしても簡単にはちぎれてくれない。同時に十字架自体を倒そうと前脚で必死に木材を揺さぶるが、こちらも思ったようにはいかず、間もなく背中に鋭い痛みが走った。

「ギャンッ……!」

 息が詰まるような衝撃に〈王殺し〉は思わず口を縄から離した。ちらりと背中を見ると黒々とした毛皮に埋もれるように槍が突き立っている。

「王が呼び出した悪魔の獣だ! そいつを殺せ! 構わん、一緒に火をつけてしまえ!」

 宰相の声が聞こえ、次の瞬間には衛兵たちが手に持った松明をどんどん足元に投げ込んできた。薪の間にたっぷり敷き詰められた着火用の松葉に火が燃え移り、〈王殺し〉の足元で一気に炎が燃え上がった。

「グルル、ウウ……」

「うなっても吠えても無駄だ」

 パチパチと木の燃える音が激しくなる。自分の毛が焦げる匂いがする。煙がどんどん喉に入ってきて、息苦しくなる。それでも十字架は倒れないし〈少年王〉を戒める縄は切れない。

 結局、救えないのか。すまない、自分が現れたことで「獣と姦通した」などという恥辱まで負わせて、ひどい最期を迎えさせることになった。〈王殺し〉は半ばあきらめながら、心の中で〈少年王〉に謝りながら、それでも必死で固い縄に食らいつき続けた。

 ふと、唾液で湿った縄から口が滑り、牙が何か細い紐のようなものに引っかかった。煙の痛みにぎゅっと閉じていた目をうっすらと開けると、そこには〈少年王〉のアンクレットがあった。生まれつき彼の足首に巻き付いていたという「王の証し」。金色に輝く細く美しい飾り。

 こんなものが、ただの赤ん坊だったはずの〈少年王〉をどこからかさらってくることを、彼を十五年間も王宮の虜にして、最後は人々の勝手な都合で残酷に焼き殺すことを正当化したのだ。そう思うと腹の底から怒りと憎しみが湧き上がり、〈王殺し〉は思いきり牙を立て、顎を振って「王の証し」を噛みちぎった。

 次の瞬間、鐘が鳴った。人々が驚いて天を見上げる中、二度、三度と大きな鐘の音が鳴り響く。

「鳴らずの鐘だ!」

 誰かがそう叫ぶのが聞こえた。階段もなく誰も登ることができない北の塔にある、もう長い間鳴らされていないはずの鐘。かつては「王殺し」が旧い王を殺め新しい王に即位したことを示すために鳴らしていたという鐘――その鐘が今、どういうわけか王都中に鳴り響いているのだった。

 だが〈王殺し〉にとってはそんなことはどうでもいいことだ。足元から燃え上がってくる炎は彼の大きな尾を焼き、今や〈少年王〉のつま先にまで届こうとしている。

「クゥン……」

 なすすべもなく〈王殺し〉が〈少年王〉の美しい顔を見上げたときだった。頬にぽつりと、冷たく濡れたものを感じた。

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