51. 第3章|1941年・クラクフ

 ニコの大叔母はゲットーで二度目の冬を迎えることができなかった。まずは寒気を訴えて高熱を出し、体にぽつぽつと発疹が出てきた頃にはニコと母親はそれが発疹チフスであることに気づいていた。

「お医者さんを呼ばなきゃ」

 そう訴えるレーナに、母は悲しそうに首を左右に振った。

「レーナ、お医者さんを呼ぶ必要はないわ」

「どうして?」

「残念だけど、この病気にかかったお年寄りは助からないの」

 母の言葉は嘘ではない。少なくとも発疹チフスを発症した老人のうち回復した者をニコは一度も見たことはない。医者に診せたところでただ診察代と薬代を無駄にするだけだろう。もちろんこれが平時であれば、気休めであろうともできるだけのことをするだろうが、残念ながらゲットーの極限生活の中では死にゆく者は死にゆくに任せるしかないのが現実だ。

 ニコの母は子どもたちへの感染を少しでも防ごうとニコとレーナに大叔母のベッドに近寄ることを禁止した。とはいえ仕事のある日中、レーナは寝込んでいる大叔母と二人きりになってしまう。

「レーナ、かわいそうだけどおばあさんには近寄らないで」

「でも、すごく苦しんでいるわ」

「お願いよ。あなたまで病気になったら、お母さんもニコも悲しくて死んでしまう。それは嫌でしょう」

「嫌よ、そんなの。でも……」

 叱ったりなだめたりすかしたり、口を酸っぱくして「病人には近づくな」と言い聞かせるが、帰宅するたびにレーナが大叔母の看病をした痕跡を見つけて頭を抱えた。

 しかし、心優しく正義感の強いレーナに、熱に浮かされ苦しみ用を足しに立ち上がることもできず衣類や寝具を汚す大叔母を放っておけと言っても無理があることは、母もニコも内心ではよくわかっていた。レーナは成長すればするほどレオに似てきて、母とニコはその姿に痛みを感じるほどだ。

 高熱がはじまって一週間ほど経つと、大叔母は熱に浮かされてうわ言を口走るようになった。厳格なユダヤ教信者で、どれだけひもじくてもコーシャの証明のない肉は一切口にしない女性だったから、うわ言の多くは神への祈りやモーセ五書トーラーの文句だった。大叔母がぶつぶつとつぶやくトーラーは一日中続き、ごく稀ににそれ以外――「ああ愛しいあなた、なぜいなくなったの」「憎いわ、ユダヤ人はきっと復讐する」といった愛憎の言葉が混ざった。

 母はクラクフの家から持ってきた大叔父の写真を取り出し、痩せた老婆の手にそっと握らせた。しかし高熱に脳を侵された大叔母にそのお守りがどれだけの効果をもたらしたのかはわからない。

 夜中続くうわ言のせいで眠れない一家は睡眠不足で、しかし工場で居眠りをすればとんでもない目にあう。ニコは仕事中は必死に目を開き、強い睡魔に襲われたときは自分で自分の体を血が滲むほどひどくつねった。それでも堪えきれない時は同僚に小さな声でこう囁く。

「悪いけど僕の足を思い切り踏んでくれないか。骨が折れたって構わないから、できるだけひどくやってくれ」

 ニコの事情を知るユダヤ人の同僚は無言で足を踏みつける。すると激しい痛みのおかげで少なくとも数分は持ちこたえることができるのだ。さすがに骨は折れていないと思うが、ニコの両足の甲はひどく腫れてその後は真っ黒い内出血だらけになった。

 発熱から二週間ほど経った頃、あれほど悩まされた大叔母のうわ言が止まった。朝になって目を覚まし、地獄の底から響くような祈りの文句が聞こえてこないことに気づいたニコは、大叔母の様子を気にする前にまずほっとした。よかった、これでもう夜に眠りが妨げられることはない、と。

 それからはっと正気に戻り、自分があまりに利己的な発想をしてしまったことに密やかに傷つく。ニコは大叔母の死を悲しむどころか、自分が穏やかに眠れるようになることを喜んだ。同じ部屋に感染症の病人がいなくなることに安堵した。ハンブルクからやってきた一家にあんなにも親切にしてくれた恩人であるにも関わらず、だ。

 レオがいなくなったときは不安と恐怖と寂しさで一ヶ月ほども毎晩涙を流した。大叔父と父がいなくなったときも同じ理由で十日ほどはベッドに入るたびに声を殺して泣いていた。でも、今のニコは大叔母の死に一滴の涙も出てこない。

 だって、ゲットーにはあまりに死があふれている。大人も子どもも関係なく毎日たくさんの人が死ぬ。主な死因は餓死や病死だが、稀に自ら死を選ぶ者もいるし、ドイツ当局へ反逆のそぶりを見せたからと処刑される者だっている。

 ここに来るまでは、死とは密やかなものだった。ごく身近な者の間のみで偲ばれる神聖なものだった。しかし、ゲットーでは処理しきれない遺体が子どもの目にも触れるような場所にまとめて置かれていることは珍しくない。それどころか下手をすれば道端で人が倒れ、衆目に晒されながらそのまま死んでしまうことすらある。

 ――ああ、僕は人の死に慣れてしまった。

 ニコの心をじんわりと侵していく、それはある種の絶望だった。ナチの台頭する世の中で、これまではずっと変わっていくのは周囲だけなのだと思っていた。政治が変わり社会が変わり人々が変わり、そんな中でも自分自身は何ひとつ変わらないままでいるのだと。しかしそれはおそらく間違いだった。厳しい状況におかれ、ニコという人間そのものもいつのまにか、確実に変質していたのだ。

 極限状態に追い込まれるまで自分がこんなにも利己的な人間であると気づかなかった。ニコは、そして母も「家族四人の生活」と言いつつその中に序列をつけていた。母と子二人が助かり生き延びることを何より重視して、血の繋がりも感情的な繋がりも少しだけ薄い大叔母をいざとなったら切り捨てるべき人間だと判断していた。

 これ以上状況が厳しくなったら? もしいずれ、母やレーナと自分の命を天秤にかけることになったら? きっとレオだったら迷わず自身の命を捨てて母と妹を守る。実際ハンブルクでレオが一切抗うことなくゲシュタポに連行されていったのは、家族を危険な目に遭わせないためだった。

 母や妹の身に危険が迫ったとき、兄と同じ決断ができるだろうか。ニコは不安に震え、少しでも気持ちを強く持とうと無意識に胸のお守りを握り締めた。

 今のニコにとってわずかな期待は、ドイツ軍がソ連で劣勢にあるという噂だけだ。対イギリスを除いて連戦連勝だったドイツは、その勢いのままに六月にソ連に攻め込んだ。一昨年のポーランド侵攻は犬猿の仲と思われたドイツとソ連が相互不可侵を定めた条約を結んだことが直接の端緒だったと言われているが、ドイツはその同盟国すらあっさりと裏切った。

 ドイツがソ連の領土を狙っていることは事実だったが、当面のところは調和路線を維持すると思われていただけにこの出来事は世界を――そして何よりソ連を驚かせた。そしてドイツの肩を持つ理由を一切なくしたソ連は一九四一年七月にイギリスとの間に新たな同盟を結び、連合軍の一部としてドイツに立ち向かうことになった。

「ドイツはもう、モスクワを攻め込むらしいぜ」

「いや、ドイツ軍にもけっこうな被害が出ているらしい。今年は冬が早いから、経験したことのない気候にドイツ軍も参ってるようだ」

 クラクフゲットーのユダヤ人社会にもたらされる情報の多くは、ポーランド総督府を通じたドイツ側の「大本営発表」だったが、数少ないスラブ系ユダヤ人は同胞のネットワークから得たソ連善戦の情報を根拠にそれを否定する。

 何が本当で何がでたらめかわからない世界でニコにできることはただ、信じたいものだけを信じかすかな希望にすがることだけだった。

タイトルとURLをコピーしました