「んっ、あ……」
もどかしいから自分からも腰を押しつけて、羽多野の硬い腹でペニスを擦る。待ち望んだ確かな刺激を口から、ペニスから、胸から。やけくそのように貪欲な動きを見せる栄の唇を味わい尽くして、羽多野はようやく息継ぎの間を与えた。
「本当に、今日はいつになく積極的だな」
改めて確認しなくたって、最初から欲しいと言っている。
勃起した乳首や性器を押し付けられて羽多野だって十分高まっているように見えるのに、ふいに唇の端を歪めるのはなぜだろう。行為がなかなか次のステップに進まないことに苛立って首筋に歯を立てると、羽多野は仕返しのようにぺちんと栄の尻を叩いた。
「でも君はオナニーでごまかそうとした」
要するに、一緒に寝ていた羽多野をそのままに自慰で熱をおさめようとしたことをまだ根に持っているというのだ。
「だって、あなたが寝てるから」
「俺が起きてたら、谷口くんの方から襲ってくれていたのか? それは残念なことをした。でも君だって冷たすぎる。せっかく一生懸命アレンジした旅行で、ベッドの真ん中に〈嘆きの壁〉だなんて」
ねちねちと恨みごとばかりを繰り返しながら、羽多野は指先で窄まりを撫でる。ぞくぞくと背筋を寒気が走り、身体中の力が抜けていくようだった。待ちきれない。早くその指を、いや、もっと熱くて確かなものを――。
「こっち、普段から使ってる? 今までも俺に黙ってひとりでここで善くなってたの?」
「してない。今日だけ」
しつこい叱責に堪えきれず、まなじりに涙を滲ませながら首を振ると、羽多野は音を立てて栄の指を吸って、唾液をまぶした。
「じゃあ、さっきどこまでした? 見せて。見せてもらうまでその気になれないかも」
「だから、それは……」
返す言葉も尽き、あきらめた栄が手を尻に回すと羽多野はわざとらしくぐっと左右に尻の肉を押し開いた。これでは窄まりも、そこに入り込む指も丸見えだ。
「手、離してくださいっ」
「こうしなきゃよく見えない。ほら、どうやってやったんだ?」
羽多野が引かないのはわかっているし、栄は追い込まれている。しかたなく指先をそこに当てて、さっきどうやったかを思い出しながらそっと力を込めた。キスや愛撫のおかげか、バスルームで試したときよりはずっと柔らかくなっている。そこはもう、直接中に触れなくたって「期待すること」を覚えてしまった。
「浅いな。それじゃ前立腺にも届かないだろう」
指先を第一関節まで埋めたところで動きを止めた栄を見て、羽多野が笑う。でも、さっきだってここまでしか入れてはいなかった。
「だから、まだする前にあなたが……」
栄は必死に自分の行為に嘘もごまかしもないことを訴える。さっきだって指先しか入れていなかったし、そこで羽多野がバスルームのドアを開けたから、驚いて手を離した。それだけだった。
すると羽多野は栄の手首を握って、指をさらに深い場所まで押し込んだ。
「ああ……」
「そうか。俺が偶然入っていかなきゃ、このまま奥まで入れて、指を増やして、腰を振って、ひとりでいっちゃってたわけだ」
「んんっ、あ。あ」
自分の指を他人の意思で動かされる違和感。物欲しげにひくひくと指を飲み込む後孔だって丸見えだ。耐えきれず栄は苦しい息を吐くが、羽多野は容赦なく言葉で辱めつづける。
「ひとりだったら何本入ったかな? 二本、三本? それでも俺のこれよりは細いし、奥にも届かない。いや、君は前立腺だけでも十分楽しめるか」
わからない。ひとりだったらどうしていただろう。惨めな気持ちで、それでも羽多野の声や、息や、指や――硬く勃起したものを思い出して、自分はひとりバスルームで達していただろうか。
「は、あ……も、許して」
何を「許して」欲しいのか、正直よくわからなかった。
隠毛を剃ったりアブノーマルな下着を穿かせたりするのは、もう勘弁して欲しい。こっちが欲しがっているのをわかっていていながら、寝た振りなんてしないで欲しい。ここまでプライドを捨てて頼んでいるのに「お預け」なんてしないで欲しい。そのどれが本当の望みなのか、それともすべてを狂おしく望んでいるのか。
羽多野が栄の髪を撫でる。
「じゃあ、これからは欲しくなったらちゃんと俺を呼ぶって約束できる?」
「できる、できるから……」
でもきっと、答えなんてどっちだって一緒だった。答えるか答えないかのうちに、羽多野はもう待ちきれないとばかりに栄の指を引き抜いて、熱く猛ったものを充てがってきた。
* * *
「もういいかげん脱いでいいですか」
どろどろに汚れたジョックストラップはもはや何の役にも立っていない。下肢にまとわりつくただの汚れた布だ。体に力が入らず横たわったままの栄がゴムバンドに手を掛けると、羽多野は「ちょっと待って」と言った。
上体を起こしサイドテーブルの方を向いたかと思うと、その手にはスマートフォンを握っていた。
「……それで何をする気ですか」
「君のこんな色っぽい姿、なかなか見せてもらえないから記念に写真を撮っておこうと思って」
スマートフォンの背面レンズを向けられた栄は、なけなしの力を振り絞って羽多野の横腹を蹴った。
「痛っ」
ひるんだ隙にスマホを取り上げ、奪い返されないよう胸に抱き込んだ。写真だなんて、冗談じゃない。
「こんなクソみっともない格好、駄目に決まってるでしょう。撮ったら俺、朝イチでロンドンに帰りますからね」
ちっ、と舌打ちの音が聞こえたところからすれば、どうやら羽多野は本気で栄の恥ずかしい姿を残すつもりだったようだ。まったく、セックスで疲れ果てた一瞬すら気が抜けない。
「舌打ちなんて品のないこと、しないでください。第一、俺が嫌がることなんてもう大概やり尽くしたでしょう」
組み敷いて抱くだけでもよっぽどなのに、さらには腕を縛ったり目隠ししたり、下半身を剃ったりこんな下着を穿かせたり。この半年、性に保守的な栄が何度生まれ変わっても自ら試さないようなことばかりを経験させられてきた。さすがの羽多野もこれ以上のアイデアはないだろうとつぶやいたところで、返ってくるのは栄の予想を裏切る言葉。
「そんなことはない、俺の夢はまだまだ尽きないからな」
「……例えば……」
おそるおそる問いかけると、羽多野は夢見るように言う。
「そうだなあ、ハメ撮りも魅力的だし、君をドライでいかせてもみたい。まだおもちゃも使ってないし、でも一番は」
「一番は?」
ハメ撮り、ドライ、おもちゃ……繰り出される禍々しい単語に顔を青くする栄の唇を、羽多野の指先がつうっとなぞった。
「谷口くんのここで、俺のを可愛がって欲しい」
――無理だ。それだけは絶対に。
手で触れてやってるだけでも感謝して欲しいのに、男のそれを口で触れるなんて。衛生の面でも、栄の矜恃の面でもそれだけは嫌だと何度も言ってきたのに、なんと羽多野はまだあきらめていないというのか。
「無理やりやらせようなんて思ってないから安心しろよ。夢見るくらい自由だろ」
いわゆる賢者タイムというやつなのだろう、さわやかな顔で物わかりの良さそうなことを言う男を、栄はこれっぽっちも信じることができない。何より怖いのは、栄が本来耐えがたいようなことを羽多野はいつの間にか「無理やり」でなく受け入れさせてしまうこと。出会って以来、最終的にはいつだって栄を思うようにしてきた男だ、もしかしたら、もしかしたらいつかは……。
嫌な予感に顔を引きつらせながらも、栄は心地よい疲れと睡魔を感じはじめていた。
(終)
2020.04.04-04.14