城と呼ばれるものには見たことも、入ったこともある。でもそれらは正確には「元・城」と呼ぶのが相応しい代物、つまり今では遺構や博物館として使われていて生活の気配はなかった。
「本当に、城で暮らしてる人っているんだ……」
思わず感嘆のため息をつく僕に、ヒューゴは笑う。
「住み心地なら新しい家の方がずっといいに決まってる。こんな古いだけの建物、先祖への義理と名誉のため以外に維持する理由もないさ」
確かに、一歩内部に足を踏み入れた内部は外観の古めかしさが嘘のようにリノベーションされている。今は夏なのでひんやりと心地よさすら感じるけれど、寒さが厳しい北部では石造りで隙間だらけの建物などそのままではとても暮らせたものではないだろう。
暖房効率などまったく考えられていない巨大な建物で暮らすには一体どれほどのコストがかかることだろう。もちろんヒューゴの家はそんなこと気にする必要ないほどの富豪なのだけども。
ヒューゴの家族は僕を温かく迎えてくれた。
お父さんは口髭を蓄えて、ヒューゴと同じ瞳の色をしていた。若い頃はパリのショーに出るようなファッションモデルだったというお母さんは長身で、今年十六歳になる息子がいるようには見えない。
かなり緊張はしたけれど、失礼のないよう挨拶はできたと思う。おじいさんから預かった手土産も忘れず渡した。
そして――ひと通りの歓迎を受けると、僕は完全に手持ち無沙汰になってしまった。
周囲にいるのは大人ばかり。互いに見知っているのだろう、楽しそうに話に花を咲かせている。僕のような見知らぬ年少者には、ちらりと視線は向けるものの声をかけてはこない。頼みの綱のヒューゴは僕を家族に引き合わせてからは、忙しく来客者の間を飛び回っている。ホストである一家の次期当主として、これも彼の役目なのだろう。
カジュアルな立食の会だから、と言われたときには安心したけれど、歩き回って自ら話し相手を探す面倒については考えていなかった。これならいっそ否応なしに隣に座った人と話さざるを得ない着席形式の方がマシだったかもしれないと、オレンジジュースのグラスを手にため息をついた。
しばらくそうしていただろうか。突然聞き慣れた声が僕を呼んだ。
「やあ、アキ」
振り返るとロドリゴがいた。彼の隣には、太いセルフレームのメガネをかけた痩せぎすの男。年齢以上に男っぽい色気を蓄えたロドリゴとは一見似ていないようだが、濃い色の癖っ毛や優しい目元は同じもの。きっと噂に聞くロドリゴの兄だ。
「ロドリゴ、やっと来た。知らない人ばかりで寂しかったんだ」
「ごめん、兄が待ち合わせに遅れるものだから巻き添えを食ってしまったよ。アキ、この人が僕の兄のハビエル。ハビエル、こちらはアキヒコ・ラザフォード。僕やヒューゴの級友だよ」
兄の遅刻を指摘してはいるが、声色はいたずらっぽく決して本気で咎めているわけではないようだ。僕とハビエルが握手するのを見届けると、ロドリゴは「では、ちょっと」と他の人々への挨拶へ向かった。
パーティの意味。本当は僕だってロドリゴのように臆することなく、この機にいろいろな人との関係を作るべきなのだろう。僕が彼の背中を眺める視線にはきっと羨望と尊敬と、そして――。
「ああいうのは苦手なんだ。とても真似できないよ」
「え?」
自分の心の声が漏れ出たのかと思った。けれどその言葉は、僕の隣に残っていたハビエルの口から出たものだった。
そういえば、僕の学友の家でも多くは家督を継ぐのは長男。しかしロドリゴには兄のハビエルがいる。確か以前、学問好きの長男が家を継ぐことを拒否したので、必然的に次男にお鉢が回ってきたのだと冗談まじりにぼやくのを聞いた気がする。
「出来の悪い兄だからね。おかげでロドリゴには負担をかけっぱなしで申し訳ないよ」
肩をすくめて見せる彼からは、長男である自分が別の分野を選んだために、家業への責任が弟ひとりの肩にかかったことへの申し訳なさがにじんだ。でも僕は、ロドリゴが兄のことを話すときはいつだって誇らしげであることを知っている。
「ロドリゴは、お兄さんを尊敬してると思いますよ。それに、将来はお気に入りの選手を集めたフットボールチームを作るんだって言ってるくらいだから、家を継ぐのも嫌ではないんだと思います」
僕の答えに、ハビエルは目を細めた。
「本当にそう思ってくれているなら、嬉しいんだけどね」
華やかな空気に満たされた場所にいくらか気後れしたような、真面目そうな男。この場に居心地の悪さを感じるのは自分だけでないのだと、僕はハビエルの存在に救われた気分になる。彼となら少し気安く話ができそうだ。
「ところでハビエルは、どんな研究をしているんですか?」
「ロボット工学が専門なんだ。今は、中でも特に人型機械のブラックボックス現象と呼ばれる事象を研究している」
「え……」
兄は研究者だ、と聞いたことはあったが具体的に何をしているかは知らなかった。場を持たせるため口にした質問だったが、ハビエルの返事に僕の心臓は大きく打った。
最近ロボットについて考えてばかりいた僕の目の前に現れた、ロボット工学者。しかも人型ロボットの専門家。思わず動揺してしまう。
「ブラックボックス現象って? 聞いたことがない言葉です」
僕の答えにハビエルの目が急に輝いた。控えめで人見知りなタイプに見えたが自分の専門分野の話になると、急に生き生きとする。これが研究者というものなのかもしれない。
「お店、学校、もしかしたら家庭にも……君の周囲にもたくさんの人型ロボットがあるだろう? 中には一見人間と見分けがつかないくらい精巧な受け答えをするものもあるはずだ」
「ええ」
「彼らはたとえばエネルギー生成などの面では人とはまったく異なるシステムで動いている。一方で多くの部分では、限りなく人と似た動作や思考、判断を行うことを目指してきた」
細かな動作が必要な精密労働、細かな思考や判断、配慮が必要な感情労働。人が求める高度な仕事をこなせるようにするために、人型ロボットは進化してきた。少し前に読んだロボットの歴史の本にも書いてあったことだ。
「でも、特に人工知能は、自己学習が高度化するほどにこちらの想像を超えて、制御や理解ができない動きを見せることがある。わかるかい? 制御できない機械というのは、とても危ないものなんだ」
だから、人間の理解や制御が及ばない部分――ブラックボックス――をできるだけ小さくすることが必要となる。そのため人工知能の動作解析を行い、機械の思考パターンを一定の範囲に収めるよう制御するシステムを作るのがハビエルの仕事なのだという。
「それって、もしかして」
僕の頭に蘇るのは、特別な女の子ビビのこと。亡くなった娘の「身代わり人形」として作られたビビを両親が「本物の女の子」として扱うようになったきっかけは、ビビがロボットとは思えないほど理不尽な感情の乱れを持っていたから。
続きを口にするのを迷ったのは、ビビが法令違反のロボットで、最終的には処分されてしまったから。ロボットの専門家にそんな話をすれば、眉をひそめられてしまうかもしれない。
「何か、心当たりがある? 言ってごらん」
優しく促されて、僕はおずおずと答えた。
「子どもの頃……近所の家にいたロボットの女の子がいたんです、わがままだったり気まぐれだったり、本当に人間の子みたいで。でもそれは、ロボットとしては不良品だったって聞きました」
少しだけ嘘を混ぜてビビの話をすると、ハビエルは真剣な顔でうなずいた。
「そういう個体は普通は出荷前に弾かれてしまうから、アキヒコくんはとても珍しいケースを見かけたんだろうね。そう、人工ニューロンの働きが過剰だったりすると、その子みたいなロボットが生まれることがある」
それから小さくため息をつく。
「でも、可哀想だよ。どうしたって機械は機械。人間ではないんだから。機械の領域を超えた思考や感情を持ったところで、決して幸せになることはできない」
だから――そういう機械を生み出さないように、最初からブラックボックスを埋めるしかないんだ。ハビエルはそうつぶやいてから、僕を見た。
「アキヒコくんは、ロボットに興味があるのかい? だったら僕の研究室に遊びにおいで。いつでも歓迎するよ」
「え? いや、あの」
興味があるといえば、ある。でもそれはきっとハビエルが思っているようなものではない。焦って目を白黒させる僕に、彼は笑って謝った。
「ごめん、変なことを言ったね。それに、自分が家業を放り出しただけでなく、ラザフォード家の後継者をロボット工学の世界に誘ったことがばれたら、今度こそ弟に叱られてしまう」