Shall we have breakfast together? -6-

 起き抜けからの思わぬ幸運を、未生は存分に堪能した。おそらくは尚人も――いや、目の端を紅潮させたままくったりと伸びている姿を見る限り「間違いなく」といったほうが正確だろう。

 尚人のマンションは築年数こそそれなりだが、値段の割に広さがあり、日当たりが良い。さんさんと朝の光が差し込むベッドの上で、心地良い疲労感に身を委ねながら未生は手をのばす。すくいあげた尚人の前髪は汗でしっとりと湿っていた。

「尚人、本当に覚えてないの?」

 もう何度目かわからない問いかけに、顔を赤らめた尚人は「しつこい」と不満げにつぶやく。

「それ、何回聞けば気が済むんだよ。いくら繰り返したところで答えは同じだって言ってるだろ」

 珍しく刺々しい態度の裏には、後ろめたさがあるのだろう。いつものことだが、尚人は嘘をつくのがとことん下手だ。

 セックスの最中も夢の中身を教えろと幾度となく迫る未生に、尚人は「覚えてない」で押し切った。快楽の熱に浮かされる中でも耐えきった根性には感心するが、そこまでして明かしたくない夢とはどんなものかと、興味と不安が強くなるのもまた事実だ。この嫉妬心は幼稚だと自覚しつつ、未生は追及を止めることができない。

「だって気になるじゃん。夢の中とはいえ、さあ」

 拗ねたように――あからさまな嫉妬に混ざる微かな不安が、尚人にちゃんと伝わるように、未生は言う。こんな態度を取れば、尚人がしらを切り続けられないと承知の上。我ながら狡いやり方だが、効果はてきめんだった。

 困ったように眉を八の字にしてから、尚人は小さなため息をついた。

「……覚えてはいないし、自分じゃ認めたくないけど」

 まずは、ささやかなエクスキューズ。優しい尚人は未生の不安を解くために、ためらいながらも言葉を続ける。

「僕が未生くんの名前を呼んだっていうのが本当なら、そういうことなんじゃない?」

 事実かどうかは留保した控えめな表現ではあるが、未生を相手に淫らな夢をみていたことを認めたことになる。尚人は、恥ずかしさからかそのまま枕に顔をうずめてしまうが、見えている耳は真っ赤に染まっていた。そんな何気ない仕草が、未生の心をわしづかみにする。

「……そっか」

 そこから先を告げるかは少し迷った。だが尚人が恥ずかしい告白をしてくれたのだから、ここはお互いさま。熟した果実のように色づいた耳たぶに唇を寄せて未生はささやいた。

「でも俺は、夢の中の自分にも嫉妬するよ。尚人があんなことするなんて、どんな煽り方してたんだろうって」

「あんなことって!」

 自ら未生の体に勃起を擦りつけたことを蒸し返された尚人はいたたまれない様子で耳をも塞ぐ。その体を裏返して未生はすかさず口付けた。

 夢のことなんて、本当はもうどうだっていい。いや、「夢の中の未生」の行為すら「本物の未生」に朝のボーナスタイムをプレゼントしてくれたのだとすれば、感謝に値する。

 浅く、深く、甘い口づけを交わし、最終的にストップをかけるのは尚人だ。

「未生くん。もうお終い。これじゃきりがないよ」

 逸らされた視線は時計の方を向く。いつものふたりからすれば、遅すぎる時刻。それに今日は、尚人の希望で博物館の特別展に行く約束をしている。さすがにこれ以上ベッドでのんびりしているわけにもいかない。

「そうだな。名残惜しいけど、そろそろ時間切れか」

 最後に一度、ちゅっと音を立ててキスをして、未生は体を起こした。

 セックスの後は大抵未生が先に浴室に行く。より疲労している尚人の方が動き出せるまで時間がかかるから、未生が風呂の準備を整えるのは暗黙の了解になっているのだ。ときたま一緒に風呂に行くこともあるが――そのまま二回戦になだれこんでしまう可能性が高いので、今日のところはよろしくない。

「じゃあ、俺先にシャワー浴びてくる。それとも風呂溜めたい?」

 普段の習慣どおりに未生が先に立ち上がろうとすると、尚人がその腕を引く。

「今日は僕が先に」

「え? なんで?」

「だって、朝ごはん作る約束したから」

「あ……そっか」

 朝からセックスの満足感で未生はすっかり忘れていたが、そういえば昨晩そんな約束をした。確か、刻みキャベツと落とし卵の味噌汁だっけ? 味の想像がつかないと言った未生に、尚人は、明日の朝食に作ってやるから食べてから判断しろと応戦した。

 起き抜けの行為に疲れているだろうし、何も今日じゃなくとも……と喉元まででかかったが、炊飯器のタイマーをセットしてあるのでごはんは炊き上がっているはず。そして冷蔵庫には刻みキャベツ。

 未生の言葉を了解の意に受け止めたのか、尚人はベッドを下りると、洗濯機に入れようと脱ぎ捨てた衣類を拾い上げ浴室に向かう。

 最高すぎて、もしかしたらこれはまだ夢の中なのかもしれない。未生は満たされた気分でその後ろ姿を見送った。

 

 

 温度高めのシャワーを頭から浴びて、すっきりとした気分で未生がバスルームを出ると、すでに脱衣所まで味噌汁の良い香りが漂ってきていた。

 食の細い弟の優馬に朝から米は重すぎるという理由で、笠井家の朝食は洋食が多いようだった。だが、父が家で朝食を食べる日だけは、真希絵はわざわざ朝から味噌汁を作り卵や魚を焼き、旅館のような朝食を準備していた。

 いずれにせよ未生は真希絵の作る食事を食べる習慣はなかったのだが、廊下に漂う味噌汁や焼き鮭のにおいは「今朝は父がいる」のシグナル。――そんな日はもちろん、家の中で父と出くわさないように細心の注意を払っていた。

 だが、今日は違う。

 尚人が未生のために準備してくれるとっておきの朝食。そう思えば、もはやドライヤーを使う時間すらもったいない。

 髪をタオルドライしただけでリビングに行けば尚人は呆れるだろうか、それとも笑うだろうか。未生は手荒に髪と体を拭い、はやる心をおさえつつジーンズに脚を入れた。

 尚人にとっては懐かしく馴染みのある味が、今度はふたりの暮らしの味になる。そう考えるだけでわくわくして、昨晩聞いたときは違和感しかなかった不思議な味噌汁に、未生はすでに親しみを覚えはじめていた。

 

(終)
2022.03.13 – 2022.03.27