「お待たせしました」の声に続いて、次々と注文したものが目の前に並ぶ。
確かにファストフードや廉価ファミレスと比べればフードの単価はいくらか高めかもしれない。「デート」の名目がなければ未生は、複数品頼むことをためらっていただろう。
だが、運ばれたものを見ればボリュームは値段相応。いや、クッションのきいた座り心地の良いシートに、ほぼすべての座席に完備された電源。長居する客も多いであろうことを思えば、この価格はむしろ良心的といっていいくらいに思えた。
カツパンは、ちょうど未生の手のひらくらいのサイズの柔らかそうなパンに同じく手のひらサイズのカツとキャベツが挟んであった。小さな藤のバスケットに入った唐揚げとフライドポテトの量も十分すぎる。カフェオレにはなぜか、小さな袋入りの豆菓子が添えられていた。
空腹の男子として、決して食べきれない量ではない。だが、未生は「両方揚げ物にしたのは失敗だったかもしれない」と内心ではわずかに後悔した。
向かい合って座る尚人は、本日のメインであるデカ盛りデザートを考慮してハムサンドという軽めの――普段の未生に言わせるならば「腹の足しにもならない」――メニューを頼んだはずだった。しかしその顔は心なしか引きつっているように見える。
パンが耳付きである点を除けばごく一般的なハムサンドのように見える。が、そこらのカフェやコンビニのサンドウィッチと比べれば明らかに量は多かった。デザートに限らず、フードは量が多い。要するに、それがコメダ珈琲店の特徴なのだ。
「……割とボリュームがあるね。美味しそうだけど」
店への配慮、そして未生への配慮から、尚人は決して「頼みすぎた」「多すぎる」とは言わない。だが声色からは動揺が伝わってくる。
尚人の慎重な性格を思えば、もしかしたらフードは頼みたくなかったかもしれない。徹夜バイト明けで空腹の未生が遠慮しないよう、さして食べたくもないハムサンドを注文した可能性もある。というか確実にそれが正解だろう。
となれば、ここは男気を見せるしかない。
「すっげえうまそうじゃん。俺、腹減ってるからちょうどいいや」
内心を飛び交う雑念をすべて追い払い、未生は笑顔でカツパンの一切れを手に取った。
比喩ではなく事実として、それは驚くほど重かった。きっと三切れ合わせたら、ペットボトルくらいの重量にはなるだろう。
味は悪くなかった。もちろん専門店や高級店のようではないが、気軽に立ち寄るチェーン店としては十分合格点だ。だが、いかんせん手のひらサイズのカツパンに唐揚げにポテト。途中からはやや無理をして口に押し込んだ。
社交辞令的に「いる?」とバスケットを示したが、尚人は黙って首を左右に振った。シェアが恥ずかしい云々以上に、胃の容量を気にしているに違いない。
揚げ物ばかり複数品頼んだ未生よりも時間をかけて、尚人はハムサンドを食べ終えた。「ふう」と息をつくとブレンドコーヒーを口に運ぶ。その仕草はまるで一仕事終えました、と言わんばかりだ。
「美味しかった」
尚人は外食を含め、他人が作ったものを決して批判しない。生まれ持った性格なのか、育ちゆえかはわからないが、未生は尚人のそういうところを眩しく思う。
以前の未生は、批判は自分を強く賢く見せるのだと思っていた。「いいよね」より「イマイチじゃね?」、「美味しい」より「まずい」。貶すことで、自分が一段上に立てているような気がしていた。そのくせ、心にもない批判を口にすれば、後ろめたさに似た苦い気持ちが心に残った。
今も何かと斜に構えたことを言ってしまうし、口に出して褒めたり感謝したりするのも得意ではない。でも、尚人を見ていると、少なくとも心にもない言葉でなにかを否定するのはやめておこうと思える。
いや――少なくとも、尚人といるときだけは。
「こっちもうまかったよ。挟んであるカツ、揚げたてっぽかったし」
空の皿を前に未生が満足な表情を見せると、尚人もほっとしたように笑った。
カップに残ったコーヒーとカフェオレを飲んでいると、店員がやって来る。
「空いたお皿、お下げしますね」
「はい、ありがとうございます」
腹もくちて、完全に食後のまったりムードになっていたふたりは、そこではたと現実に戻る。わざわざコメダにやって来た目的を、まだ果たしていないではないか。
未生が再びメニューに手を伸ばすと、尚人の表情がぎくりとひるんだように見えた。
「デザート、いける?」
念のため、きいてみる。どうしても無理ならば出直すという手もある。だが、ただでさえふたりで過ごす週末は短いのに、そのうち二食をコメダというのはどうだろう。かといってデザートなしで帰れば、尚人は生徒との約束を果たせない。
「うーん……」
尚人は即答しない。アラサー男にしても胃の容量少なめの尚人だから、食べきれるか自信がないのだ。懊悩する尚人を前に未生は腹をくくる。
こういう場面こそ、忌々しい尚人の元恋人と比べて未生が圧倒的アドバンテージを発揮できる数少ないチャンスだ。胃袋の容量と人目を気にしない図太さで優位を誇ることに本当に意味があるのかについては、ひとまず考えないことにする。
「大丈夫、大丈夫。こういうときのために俺ときたんだろ」
「未生くん、まだ食べれる?」
「まだまだ余裕」
明らかな強がりではあるが、未生は自信たっぷりに答えて呼び出しボタンを押した。
「えっと、シロノワールと、こっちの宇治抹茶のかき氷。トッピング全部つけて」
注文を取りにきたのは、さっき皿を下げにきたのと同じ女性店員。未生と尚人の姿を改めてちらりと見てから、確認する。
「シロノワールも、かき氷も、ミニサイズもございますけど、通常の大きさでよろしいですか?」
余計なこと言いやがって、と未生は思った。そんなことを聞けば優柔不断な尚人がまた不安になるに決まっている。こういうのは勢いが大事なのだ。
「そんなに大きいんですか?」
きき返す尚人を遮るように、未生はバタンと音を立ててメニューを閉じた。
「あー、大丈夫大丈夫。俺すげえ食うんで」
未生があまりに自信たっぷりなのが面白かったのか、店員は顔をほころばせて注文を端末に入力した。
「承知しました。では、ご一緒に召し上がれるように取り皿も準備しますね」
「えっ、あの」
どこかの誰かの呪いが残る尚人が余計なことを言いそうなので、未生はテーブルの下で軽くすねを蹴って黙らせた。
店員が去ってから、言う。
「別にいいじゃん。男同士で甘いもんシェアしてると思われたって、男同士のカップルだと思われたって。何か困る? どうせ知らない店員なのに」
眉根を寄せてしばらく真面目に「何か困ること」を探してから、尚人はゆっくりと首を振った。
「困らない」
**
三十分後、未生と尚人は唇を紫色にして、初夏にもかかわらずがたがたと震えながらコメダ珈琲店の入っているビルを出た。蒸し暑いはずの外気が、今は凍えた体を癒やす魔法のように思える。
「……次の授業のとき謝らなきゃ。彼女、全然おおげさじゃなかった」
鳥肌の立った二の腕を擦りながら尚人がつぶやく。
そもそも本日コメダに来たきっかけは、シロノワールとかき氷の写真を「そんなに大きいようには見えない」と言ってしまった尚人が、実物を体験してくることを生徒に約束させられたからだ。
尚人は完全に白旗を揚げる覚悟を決めたようだ。未生ももちろん賛成する。
「あのサイズをノーマルって呼ぶの、おかしいだろ」
腹一杯フードを食べた後であることを差し引いても、追加で頼んだデザートのボリュームと破壊力はたいそうなものだった。シロノワールのベースにあるのは油脂をたっぷり含んだデニッシュパン。熱々のパンの上に乗ったソフトクリームが溶ける前にと急いで食べると、それだけで胃が圧迫される。
さらに運ばれてきたのは、ちょっとしたバケツサイズのかき氷。氷とシロップだけならともかく、トッピングのソフトクリームとあんこのせいで重量感もある。もちろんシロノワールに負けず劣らず「時間との勝負」のメニューだ。
さらに、未生と尚人の座っている席は不幸なことに空調の送風口が近かった。つまり、ただでさえやや寒かったのだ。
冷風を浴びながら巨大なかき氷を攻略するふたり。それはまるで、氷山に食らいつく冒険家のような心境で、デートでスイーツをシェア、などという甘ったるい空気とはほど遠い。
だが未生はやりきった。途中から明らかに尚人の手の動きが遅くなり、スプーンを口に運ぶ回数が遅くなるのを見て、ここは自分が頑張らなければと気力を奮い起こした。最終的にはかき氷を空にし、シロノワールの皿に残ったシロップ漬けのチェリーもしっかり食べきった。……その結果が、凍死寸前のこの状態なのだが。
ひたすら寒い寒いとつぶやきながら、しばらく外を歩くうちにようやくかじかんだ指先がほどけてくる。だがそれは同時に、臓器まで凍り付いていたおかげで麻痺していた満腹感と胃もたれが押し寄せてくることも意味する。
「美味しかったけど、でも、さすがに……」
「ちょっと食い過ぎだったかもな」
ようやく弱音を吐いた未生に、尚人が苦笑した。
「やっぱり未生くん無理してたんだ。揚げ物ばかり頼んで大丈夫かなって思ってたんだよ」
「だって、ハムサンドもあんなに多いって思わなかったし。唐揚げとか、尚人もちょっとくらい食べるかと思ったんだよ」
「デザートも、ミニサイズだったらもうちょっと楽に食べきれたのに」
「それじゃ、尚人が生徒との約束守ったことにならないだろ。それに、女子高生から『恋人とシェアすればいい』って言われたんだろ」
「それはそうだけどさ……」
顔を見合わせ、どちらからともなく吹き出した。
たかがチェーン店のカフェで、昼食とデザートを食べただけ。なのにこんなに迷ったり、動揺したり、達成感を味わったり。ただの週末のランチがちょっとした大イベントになる。
ふたりで――いや、誰かとこんな時間を過ごす未来を、ほんの数年前の未生も、尚人も、きっと想像していなかったはずだ。そんなことを考えると急に甘ったるい感情が湧いてくる。
手をつなぎたいけど、こんな昼間から、こんな街中で。きっと尚人は嫌がるだろう。だから代わりに、未生は小さな声でささやく。
「芯まで凍えたから、さっさと帰ってあったかくなることしよっか?」
「……え、何?」
聞こえてなかったのか、聞こえていないふりなのか、尚人は気のない返事。だから未生は、今度は耳元に唇を寄せて、わざと隠微な声色を出した。
「頑張るからさ。尚人はあっちも、でっかいほうがいいんだろ?」
一気に尚人の顔が赤く染まり、もしかしたら冷え切った体が一気に熱を持ったかもしれない。
あきれた顔で「たまに君、おじさんみたいなこと言うよね……」とつぶやく、でもきっと内心はまんざらでもないはずだ。
(終)
2023.07.15 – 2023.08.05