独特の強いにおいで多少ごまかされるとはいえ、この手の酒のアルコール度数が高いということは栄だってわかっているはずだ。
過去に二人で酒を飲んだときに栄は何度か彼にとっての「大失態」を演じている。例えば最初に飲みに行った夜には財布からED治療薬を落とし、性的不能に悩んでいたことや当時の恋人を寝取られたことについて口を滑らせた。かつて自分を捨てた女が子どもを連れている場面を見て感情を乱した羽多野が苛立ちと欲望のままに初めて栄を組み敷いた夜も、彼はしたたか酔っていた。
「あなたが酒瓶を出してくるときって、ろくなことないんですよね」
指摘されても素知らぬ顔でかわす。なんせこちらは魑魅魍魎うずまく政界で酸いも甘いも噛み分けてきた男なのだから、腹芸ならばお手のもの――。
「考えすぎだって。それに、最近谷口くん外で飲み食いするの嫌がるから、飲むなら家の方がいいだろう」
そう言いながら羽多野はさりげなく栄のグラスに酒を足してやる。
「外食は……別に羽多野さんと一緒が嫌だってわけじゃなくて、何でも支払いたがるから」
「エスコートされてるみたいで不愉快?」
「別にそういう意味ではないけど」
ここで栄にとって多少後ろめたい話題を畳み掛けていくのも作戦のうち。そうすれば気まずさを打ち消そうと、彼がグラスに口をつける回数は増えていく。
ここのところ外食で揉めることが多いのは事実だ。外出の際の食事や買い物で、羽多野が率先して財布を出すのが栄としては気に食わないのだろう。
「でも俺は実質こっちに住み着いているのに、君は一ポンドだって家賃を受け取ってくれないじゃないか。外で食う飯代を俺が払ったところで全体の負担は谷口くんの方がよっぽど大きい」
「そんなの店の人にはわからない事情です。端から見たら俺が奢られているように見えるのが嫌なんですよ。それに、家賃の話はトラブルを避けるためだって、羽多野さんも納得したはずでしょう?」
店員が客の金払いをいちいち気にしているとも思えないが、自意識過剰な男にとっては気にせずにはいられないのだろう。難しい顔で栄はグラスをあおった。ショットグラスの隣にはすでに、ウイスキーを注いだバカラグラスもスタンバイしている。
「たまにはいい格好させてくれよ。俺にもちょっとくらいは男のプライドがあるんだから、無職でもないのに何もかも君の世話になりっぱなしっていうのもな」
家賃については羽多野も納得している、というかせざるをえない。羽多野との同居を職場に隠している以上、少なくとも名義と支払いについては完全に栄の責任で行い「ひとり暮らし」の体裁を整えておく必要がある。あきれるほどに融通がきかないが、国家公務員とはそういうものなのだ。
すでにウイスキーに切り替えている羽多野がグラスの氷を鳴らすと、琥珀色の液体が揺れるのに釣られたかのように栄もバカラに手を伸ばし、羽多野の言葉尻に噛みつく。
「どこがちょっとですか? あなた、俺のこといつも高慢だって言いますけど、自分だって相当なものですよ。言ったでしょう、家の外で彼氏ヅラはやめてくださいって」
呆れたように息を吐く、その目元はうっすらと赤らみはじめている。運動後の空きっ腹に、つまみはほんの少々で強い酒。言っていることはいつもと同じでも、ろれつが微かに怪しくなっているからか可愛らしくも感じられた。
* *
それから約二時間後、羽多野の懸命な努力は見事に実を結んだ。
「せっかく泳いできたのに、これじゃ意味ないじゃないですか」
ほぼ空になった酒瓶を眺め、栄は眠そうに目を擦る。
寝落ちされる前に次の展開に持ちこまなければいけない。この世には酒を飲むと勃起や射精しづらくなる男もいるが、幸い羽多野も栄もそういったタイプではなかった。
このまま寝床に連れていってついでに押し倒す――そんなことを考えていると、ガチャンとガラスが倒れる音がする。
「あっ」
しまった、と言いたげな栄の声に顔をあげると、まだ半分ほど中身の入っていたウイスキーグラスがテーブルの上に横倒しになっている。酒のせいで反射神経が鈍っているのか、流れ出た液体はすでに栄の膝を濡らしていた。
もったいない――高い酒が無駄になったことを悔やむ気持ちは一瞬で消える。きっとこれは千載一遇のチャンスだ。栄が不器用な動きで立ち上がるのを制して羽多野はキッチンへタオルを取りに行った。もちろん心の中はすでに不埒な考えでいっぱいだった。
「すみません」
伏し目で謝る栄が柄にもなくしおらしいのは、酔っ払ってグラスを倒してしまったことを恥じているのだろう。ライトグレーのスウェットの前はまるで粗相をした後のようにぐっしょり濡れていて、タオルで拭ったところでどうしようもなさそうだ。
「脱いで着替えた方がいいんじゃないか。中まで染みてるならシャワーも……」
手を伸ばすとさすがに下心を悟ったのか、もしくは反射的な行動なのか、栄は振り払おうとする。
「大丈夫です、自分で歩けます」
そう言いながらも踏み出す足はおぼつかない。飲んだ酒の量を考えれば当然のことだった。
「ふらついてるだろ、転んだら危ない。連れていくだけだから」
心にもない言葉を口にしながら半ば無理やりに腕を取ると栄は不承不承ながら従った。酔っているなりに、ここで羽多野の腕を借りることと、下半身を濡らしたまま足を滑らせて床にひっくり返る危険性を天秤にかけたのかもしれない。
バスルームに入ると、栄は気持ち悪そうに肌に張り付くスウェットを脱ぎにかかる――が、腿の途中まで下ろしたところで一旦動きを止めた。
「何じろじろ見てるんですか」
「見てるんじゃなくて、見守ってるんだよ。いちいち自意識過剰だな」
凝視していることには気づかれていたようだ。だが、今のところ羽多野には「酔っ払いの転倒防止」という立派な大義名分がある。
「……日頃の行いが悪いから疑われるんですよ」
ぶつくさ言いながらも、今の栄に実力行使で羽多野を追い出すことは難しい。不利な状況を理解しているのか背中を向けてこそこそとスウェットを脱ぎ捨てた。前向きにかがんでいるので、ぴったりとしたボクサーブリーフ越しに形よく張り詰めた尻を羽多野の目の前に差し出している状況だが、本人はこれっぽっちも気付いていないのだろう。
このまま両手を伸ばして尻を揉みしだいてやればどんな顔をするだろう――衝動に駆られるが、せっかくの脱衣ショーなので最後までじっくり眺めることにした。やがて酔っ払い特有ののろのろした動きで栄はとうとう下着を下ろした。
ベッドでは何度も見ているが、こんな風に両脚に力を入れて立っている状態の裸体は初めてだ。太腿の筋肉の張り方にも、裸の尻のラインにも普段とは違う色気を感じる。羽多野はバスルームの壁を探る栄の手を押し留め、彼が目指していたシャワーヘッドを取り上げた。
――さて、ここからは俺のターン。
ただのお預けだけならまだしも、意地の悪い言葉や行動で日々羽多野の欲求不満をあおってくる栄にも責任はそれなりにある。いや、もしかして内心ではこういう目に遭うことを望んですらいるような……というのは考え過ぎだろうか。
「ちょっと……余計なことしないで」
ここに至ってもまだ自分が完全に「嵌められた」ことに気付いていないおめでたい恋人の首筋を軽く掠めるようにキスをして、羽多野は肩越しに彼の体の前面を覗き込んで、言った。
「ずっと思ってたけど、そこの処理、ちょっと変えたよな」