17. ここでのやり方

 アイクはリュシカとともに見知らぬ集落での二度目の夜を迎えていた。

 薬草の湿布のおかげか左脚全体がひんやりとして、いつの間にかしびれとそれに伴う不快感は少し和らいでいた。そんな気持ちが表情にも表れているのか、リュシカがおずおずと訊ねてくる。

「脚、少しは楽になった?」

「ああ、冷たくて気持ちいいよ。本当に痺れを治す効果があるのかはわからないが、今はあいつを信じるしかないからな」

 アイクの生まれ育った西の果てとここでは植生も異なっているのか、セスがアイクの治療に使ったのは見たことのない薬草だった。匂いや感触からは効果がありそうに思えるが、とりあえずは様子を見るほかにない。

 しかし、奇妙なことになったものだ。野営続きの日々ではリュシカが疲れてしまうだろうから、たまには屋根のある場所で寝かせてやりたいと思ってはいたが、まさかこんな経緯で束の間であるとはいえ二人だけの住処を手に入れるとは。

 確かにこの家は小さいし作りも雑だが、さっきまで寝かされていたセスたちの屋敷よりは断然居心地はましだ。少なくとも自分たちを理不尽に捕らえ、利用しようとした人々とは多少の距離を取ることができている。それに、自分たちだけの場所であればリュシカに触れてもさっきのように拒まれることはないだろう。

 絶対に守ると決めていたにも関わらず、いざ襲撃に遭えばあっけなく 捕らえられリュシカを危険に晒した。体は思うように動かないし、リュシカを抱きしめようとすれば拒まれる。今の自分が自信を失っていて、だからこそ悪いことばかり考えてしまうのだということはわかっている。だが、次々と浮かんでくる不安を打ち消すことは難しい。

「家と寝具のある生活に慣れれば、おまえは旅に戻るのが辛くなるかもしれないな」

 ふと口をついた言葉には自虐が混じる。リュシカはなぜアイクが目を覚ますのを待たずに、神の使いとかいう男に会いに行ったのか。あんなにか細い少年だから、押さえつけられればあらがえるはずもないのに。リュシカに説明を受けて納得をしたふりをしているのに、アイクは実際のところ何ひとつ納得できていないのだ。

 リュシカは王で、アイクは唯一の彼の民。二人きりの国で、ずっとお互いしか見えないまま生きていけるなら幸せなのに。心をかき乱す余計な人間がいるこんな集落は一刻も早く出ていきたい。快適な生活を思い出し、アイクよりもはるかに賢く美しい人たちと出会ってしまえば、もしかしたらリュシカは――。

 しかしリュシカは困ったような笑顔を浮かべ、アイクの不安を否定する。

「そんなことないよ、君との旅は楽しいもの」

 そして、ついさっき食べ終わった夕食の食器を取りに来たセスが出て行った扉の方に視線を向け話題を変えた。

「祭りが近いって話すときのセス、とても寂しそうに見えた」

「そうか?」

 アイクはまったく気づかなかった。そもそもセスの感情になど関心がないので表情に注意を払ってもいない。

 やはりリュシカはあの青年に惹かれているのだろうか。そういえばあの青年もリュシカには妙に優しい。穏やかでない考えが頭をもたげたところで、しかしリュシカは予想外の言葉を口にした。

「セスはクシュナンがいなくなってしまうのが寂しいんだ。どこまで自覚をしているかはわからないけど、彼はクシュナン……神の使いに惹かれてる。それにきっと、クシュナンもセスのことを」

「それは、確かなのか」

「うん、彼らが一緒にいるところをひと目みれば誰だってわかる」

 自分の懸念が見当違いだったことを知り、アイクは少し気恥ずかしい気分になった。

 リュシカは、セスとクシュナンと三人で話をしたときのことを改めてアイクに話した。そもそもスイからリュシカを使いのところに連れて行くよう言われたときのセスの様子からして奇妙で、まるでクシュナンに他の誰かを近づけることを嫌がっているようだったのだと。

「だからって、言われるがままに着いて行くなんて、あまりに無防備だ。もしも無理やり……」

「セスは叫ぶことができないし僕は身軽だから、いざとなれば逃げられたよ。でも、神の使いの小屋に入ってすぐにわかったんだ。セスが、クシュナンが相手を欲しがっていると思ったのは間違いじゃない。ただ一番大事なところを読み間違ってる。彼が欲しがっているのはセスだよ」

 リュシカは世間知らずではあるが賢いし、人々の顔色をうかがう生活が長かったゆえ察しもいい。そのリュシカが言うのであれば、セスとクシュナンが惹かれ合っているというのは事実なのかもしれない。

「……本当に祭りが終わったらクシュナンは山の神のところに帰ってしまうのかな。お互いに大事に思っているのに離ればなれになるのは悲しいよ」

 他人を思いやる心はリュシカの美徳だが、ときおりアイクを苛立たせる。優しさがときに行き過ぎた自己犠牲の心となってリュシカ自身をも傷つけるからだ。アイクにとっては他の誰かの悲しみや苦しみなどどうだっていい。大切なのはただリュシカだけ。

「俺たちには関係のないことだ。人をさらうような奴らだ、きっとろくなこと……」

 無理やり話を終わらせようと、そう口にしたところでアイクの頭にはふと嫌な考えが浮かんだ。

 集落の安全と繁栄を祈るために山の神の使いをもてなす儀式。どこかからか連れてこられ、一年間小さな小屋に閉じ込めた神の使いを、祭りの晩に神の元へ帰す。アイクはその構図を何かと似ていると思った。――きらびやかな王都で「王」そして「神」と呼ばれ丁寧に扱われていたリュシカは、実のところは国に厄災が訪れたときに生贄となる運命を与えられていた。

 山の神の元へ帰す。どんな方法で?

 しかし不穏な想像を口にすることはやめた。きっとそんな話をすればリュシカはますますセスとクシュナンのことを気にして、この集落の踏み込んではいけない部分にまで立ち入ってしまうだろう。そしてそれは、アイクとリュシカを危険に晒すことを意味する。

「アイク?」

 急に口をつぐんだアイクに、リュシカが不思議そうに首を傾げたその瞬間、突然大きな音がして入り口の扉が開いた。

「誰だ!」

 思わずいつもの調子で立ち上がろうとし、アイクはよろめいて倒れる。挨拶もなく入って来たのは五人ほどの若い男で、うち三人が倒れたアイクに駆け寄ると体を押さえつける。森の中は暗かったので顔が見えなかったが、この男たちは昨晩自分たちを襲った内の数人に違いないとアイクは直感した。

「何をする、離せ」

 体格ではアイクが勝るから、普段であれば二人、三人程度なら相手できる。だがいかんせん左半身が思うようにならない状態では分が悪い。一人に腕を押さえられ、二人掛かりで馬乗りになられるとアイクは身動きできなくなった。

 男たちはアイクを押さえつけるだけで殴ろうとも蹴ろうともしないが、問題はリュシカだ。残りの二人の男が、アイクの手の届かない場所でリュシカを仰向けに押し倒す。

「離して、嫌だっ!」

 一人の男に上体を押さえつけられた状態で、リュシカが拒絶の声をあげる。もちろん声だけではなく拘束を逃れようと激しく脚をばたつかせるが、もう一人の男はリュシカの細い足首をつかみあげ身につけているものを剥ぎにかかった。

「こりゃ珍しい。こんな白い体、見たことないな」

「こんな上玉でもお眼鏡にかなわないなんて、神の使いっていうのは普段どんな奴を相手にしてるんだ?」

 下半身を下着だけの姿に剥かれたリュシカを、男たちはが下卑た目で眺める。

「やめろ! 俺たちはここのおさから滞在の許しを得た正式な客人だ。乱暴を働いたらどうなるか……」

 そう叫びながらアイクは、やっぱりこの集落の人間を信じたことが過ちだったと思った。セスと、セスの兄であるスイは、アイクとリュシカへの乱暴な振る舞いを謝罪し、アイクの怪我が治るまではここで療養することを認めた。怪我が治れば旅の支度を整えて送り出してくれると約束した。なのにこの若者たちはここに押し入り、リュシカに乱暴をしようとしているのだ。

 リュシカの上半身を押さえている男は笑いながらアイクに言った。

「あいにく、この集落では『契りの儀式』で結ばれていない者には誰もが触れる権利があるんだ。神の使いの相手であれば我々が手を出すのははばかられるが、こいつは拒まれたんだろう? ここに留まり俺たちの作った穀物や俺たちの狩った獲物で命を繋ぐならば、その間はここの掟に従うのが当然だ」

 残りの男たちも口々に同意し、必死の抵抗を見せるリュシカの脚をつかんだ男がいよいよ下着に手をかけた。

 アイクは心の底から自分が今、黒い獣であればいいと思った。鋭い牙と爪を持つ獣だったらこんな奴らの喉を噛み切り、皮膚を切り裂き、殺してやる。決してリュシカに触れることなど許さない。こんな無力な人間になど戻らなければよかった。

「おまえたち、何をやっている!」

 そこに割って入ったのは聞き覚えのない声だった。だが、その声が低く響き渡ると同時にリュシカに襲いかかっていた男は驚いたように動きを止めた。

「スイ、なぜここに」

 さっき「契りの儀式」とやらを理由に暴力を正当化しようとした男が驚いたように顔を上げる。スイ、という名前はアイクも知っている。長の長男でセスの兄。高齢の父を助けこの集落を実務上取り仕切っている権力者で、彼が許可したからこそアイクとリュシカはここで療養することになった。

「客人と少し話をしたいと思って来てみたら……カイ、一体なぜこんなことを。すぐに彼らを離してやれ」

そ の声に若い男たちは渋々アイクとリュシカから手を離す。リュシカは乱れた服装を直しながらアイクに駆け寄った。

 しかしカイと呼ばれた男は不服そうだ。

「驚くことはない。俺はただ新入りにここでのやり方を教えてやろうとしただけだ。いっときとはいえ集落で暮らす以上、必要なことだろ?」

「勘違いするな。彼らはあくまで脚が治るまで逗留するだけの客人で、ここの人間ではない」

 スイは厳然とカイの言い分を退けるが、その言葉に納得するどころかカイは挑発的な表情を浮かべてスイににじり寄る。

「スイ、怪我をして働けもしない奴らを特別扱いか? そもそもセスが『神の使いに相手を』なんて言い出さなければ、こんな奴らを連れてくることもなかったんだ」

「何が言いたい」

 カイの叱責にスイの表情が強張るのがわかった。思いもよらず目の前ではじまった激しい論争に、リュシカは不安げにぎゅっとアイクの手を握りしめてきた。

「スイ、あんたは弟の失態に甘いよ。セスに言われたから俺たちにこいつらを連れてこさせて、それが間違いだとわかったら今度はセスの言うとおりにこいつらを手厚くもてなす? そんな身内びいきでおさが務まると思うのか」

 厳しい言葉にスイが口ごもるとカイは勝ち誇ったように笑い、再びアイクとリュシカの方を振り返った。

「さて、続きをやるか」

「カイ!」

 スイが制止の声をあげるが、声にはさっきほどの強さはない。カイが一歩踏み出し、アイクはぎゅっとリュシカの手を握って、この苦境から逃げ出す方策がないか思いを巡らせる。

 先に口を開いたのはリュシカだった。

「いいよ、僕はここのやり方に従う」

「リュシカ、おまえ何を!?」

 一体何を言い出すのか。アイクは耳を疑った。リュシカはおとなしくこの男たちの相手をする気なのか。そんなこと絶対に許せない。しかし、リュシカは安心させるようにアイクに微笑みかけると、二人を取り囲む男たちに向かってはっきりと言い切った。

「僕と彼――アイクは愛し合っている。君がさっき言っていた『契りの儀式』をやれば、この集落の誰も僕たちに手を出せなくなるんだろう? だったらやるよ、その儀式を」