僕と機械仕掛けとゴースト(4)

 家のある通りよりも少し前で車から降ろしてもらった。

 数年前ならば決して許してもらえなかった「日が落ちた後で、ひとりで外を歩くこと」は、いつから解禁になったんだっけ。少しひんやりとした夕方の空気を肌に感じながら、そんなことを考える。

 おじいさんの家に日曜日だけ通っていた頃は、見張りのように送迎に付き添っていたベネットさんも、今ではよっぽどついでの用事があるとき以外は同乗しない。「学校の送り迎えまですべてアキヒコ様に付き合っていたら、本業ができずに破産してしまいますからね」と言われたが、最初から最後まで僕の方から付き添いを頼んだことなど一度だってなかった。

 運転手はこちらから話しかけない限りは口を開くことのない寡黙な男性だ。ベネットさんのように口うるさいことも言わず、今日みたいに「少し歩きたいから」と言えば、必ず僕のお願いを叶えてくれる。お願い――もしかしたら彼はそれを「指示」や「命令」と捉えているのかもしれないけれど。

 大きな河にかかる橋をわたる。子どもの頃から何百回、何千回も眺めている川面は流れがあるのかないのかわからないくらい穏やかで緩やかだ。

 学校は楽しいし、おじいさんの家での「見習い」は刺激的だ。でも僕が生まれ育ったのはここで、せわしなく行き交う自動車や、橋向こうにぎゅうぎゅうに詰まった建物を眺めると、ほっとした気持ちになる。

 川に沿って作られた遊歩道には、ランニングする人の姿、犬の散歩をする人の姿、そしてベンチで肩を寄せ合う恋人同士。指と指を絡めて、まるでテレビドラマの登場人物みたいにうっとりとした表情をしている。

 じっと見つめるのもいけない気がして、僕はそっと目をそらした。

「デートの予定もないんですか?」と、ベネットさんの言葉が頭に蘇る。そんな暇はない、と返した言葉に嘘はない。でも、たとえ時間があったとしても、あのカップルみたいに自分が誰かとべたべた寄り添って過ごすなんてまったく想像ができなかった。

 

 

「ただいま」

 玄関のドアを開けると、夕食のいいにおいが漂ってくる。学期末のお祝いに、何でも好きなものを作ってくれるというサーシャに、僕はミートパイを頼んであった。肉汁あふれるパイを思い浮かべると、口の中に唾液がわいてくる。

「おかえりなさい。私の予測よりも、十五分遅いですね。少しパイに予熱が通り過ぎたかもしれません。手を洗って、すぐに食卓へどうぞ」

「ちょっと橋のところから散歩してきたから」

 彼にとって完璧な状態でのミートパイを出せないのが不満なのか、サーシャは少しご機嫌ななめに見えた。ほんの少しの火の通り具合なんて関係ないくらいにサーシャの作るパイはいつだって絶品なのに、ロボットというのは大体において几帳面すぎる。

 手を洗ってからテーブルにつくと、目の前には期待通りの大きなパイの一切れと、クリームをたっぷり練り込んだマッシュポテト――そして、これは完全に余計なのだけれど――芽キャベツとにんじんのソテーが山盛りになっていた。

「ちなみに、その皿をすべて空にするまでは、パイのお代わりはできません」

「言われなくたってわかってる」

 たっぷりのグレイビーをかけて味とにおいをごまかして、僕はさっさと野菜の山を片付けてしまった。続けて、パイもポテトも、吸い込まれるように胃の中に消えていく。

 空になったお皿を差し出すと、サーシャは目を丸くする。

「毎度のことですが、あなたの食欲には驚くばかりですよ。そのうちミートパイのために牛を一頭買ってこなきゃいけなくなるんじゃないかと不安になります」

 単純な比喩なのか、冗談のつもりなのか。アンドロイドらしく表情に乏しいサーシャはこういうことを言うときも真顔なので、あまり面白いとは感じない。僕は二切れ目のパイでずっしりと重い皿を受け取りながら言う。

「普通だよ。僕の友達だってみんな、このくらいは食べる。むしろ僕からすれば、食べ物なしで動けるサーシャの方が不思議だね」

 家族と食卓を囲むことを教えるのも育児支援ロボットの役割のひとつだから、と彼は基本的には僕の夕食に付き合う。けれど、内部に活動エネルギーを生成するシステムを持っているアンドロイドにとって飲食は必須ではない。サーシャの目の前の皿には申し訳程度の量の料理が乗っているだけで、大きなキャセロールいっぱいのミートパイはほとんどが僕の胃に消えていく運命にある。

「大丈夫、無駄になってるわけじゃないから。知ってる? 僕の身長がこの一年間でどのくらい伸びたか」

「私が知らないはずないでしょう。2.3インチ。標準的な成長曲線を上回っています。まあ、それだけ食べていれば当たり前ですね」

 サーシャの言葉にわずかながら苦々しさが混ざっていることに気づいて、僕は笑い出しそうになる。

 確か数ヶ月前のこと、買い物の途中、並んで歩いているときにふと、自分の目線がサーシャよりも高い場所にあることに気づいた。つまり僕は、出会って十年目にして彼の身長を追い抜いたのだ。

 当たり前の話だが、メンテナンスなどで手を加えない限り、アンドロイドの外見は変わらない。身長が伸びることも、体重が増えることも、もちろん成長もしなければ老化もしない。

 小さな子どもを相手にするため、育児支援用アンドロイドは男性型であっても威圧感のないデザインのものが多く、サーシャも一般的な男性と比べればやや小柄だ。

 僕の父親がどのような体格の持ち主だったかはわからないけれど、おじいさんは背が高く年齢の割にがっしりとした体格を保っているし、お母さんはすらりとして長身だった。僕がサーシャの身長を追い抜くのは時間の問題だったのだと思う。

 とはいえ、この事実はサーシャの「育児支援アンドロイドとしてのプライド」を傷つけたらしい。

「これからは、手の届かない場所のものは僕が取ってあげるよ」

 スーパーマーケットの高い棚を見て僕がそう言うと、サーシャは渋い顔をした。

「家事一般は私の仕事です。そういうのを余計なお世話って言うんですよ、アキヒコ・ラザフォード」

 当然ながら、彼が僕をフルネームで呼ぶときは、本気で叱る場合もしくはとんでもなく機嫌を損ねている場合のみだ。

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