寮で生活している友人たちは、休暇に家に戻るたびに家族が驚くのだと言っていた。特にロドリゴは、出会った頃は僕よりも小柄だったのに、ここ二年ほどで驚くほど身長が伸びた。
「一年ぶりに会ったひいおばあさまに、『どちら様?』って聞かれちゃったよ」と苦笑していたのは、確か春の休暇明け。成長痛と呼ばれる骨の痛みは僕も経験していたけれど、彼の場合は眠っているときにミシミシと自分の骨が伸びていく感覚すらあったらしい。
「他の子たちの家族は、背が伸びたのを喜ぶんだってさ」
早くも二切れ目のパイをほぼ食べ終わりそうな僕は、ちらりとサーシャの様子をうかがってみる。
「そうですか」
案の定、反応はそっけない。
「サーシャは嬉しくないの?」
「私が適切な栄養や休息を提供できているという証明ですから、あなたの身体的な成長は当然嬉しいですよ。まあ、できれば中身も同じくらい成長してくれればと思ってはいますが」
やっぱりひと言多い。
「……手伝いだってできるのに」
そういえばサーシャは以前ほど僕に手伝いをしろと言うことが少なくなった。背が高くなってできることは増えているのに、反比例するように仕事を頼まれることが減っていくのも、何だか面白くない。
一体サーシャは何が不満なのか。僕がしつこく言い募ると、彼はとうとう呆れたように息を吐いた。
「誤解しないでください、アキ。あなたが人並みのことができるよう教えることは私の務めです。でも、私の仕事を奪われては困ります。だから高いところの物を取ってもらう必要はないし、重い物を持ってもらう必要もないんです」
それに、力ならばあなたよりずっと強いですから、とサーシャは付け加えた。
僕だってわかっている。細身の体に見合わないくらいに、サーシャの体は人間よりよっぽど丈夫で力だって強い。重い物を持つ力なら、きっとオリンピックのメダリストレベルだ。家事用のロボットというのはそういう風にできているのだという。
「ただでさえあなたが学校やラザフォード邸で過ごす時間が長くなって、私の仕事は減っているんです。これ以上仕事を奪われたら、退屈でさび付いてしまうかもしれません。その犠牲的精神は将来家族を持ったときに発揮することをお勧めしますね」
やっぱり、サーシャの冗談は全然面白くない。
「ところで、明日から休暇ですが、食事の準備など都合がありますので、予定はあらかじめ教えてください」
身長に関する話題は一区切りついたと判断したのか、サーシャは壁のカレンダーに目をやった。確かに、これ以上不毛な話を続けたところで平行線をたどるだけ。
それに僕は、仕事が少ないと退屈するというサーシャの言い分にも一理あると思ったのだ。ひどく遠回しであるけれど、その言葉は彼が僕の不在を寂しく感じているようにも受け取れるから――いや、無理やりそう受け止めることにして、ひとまず満足しておく。
「休み中はおじいさんの手伝いの日数を増やす予定だから、週に四日くらいは昼ご飯も向こうで食べるかな。予定は確認しておく。あ、明日はあっちには行かないけど、昼は外で食べてくるよ」
「どなたかと、お出かけですか?」
サーシャの質問に、またもやベネットさんとのやり取りを思い出して、僕はあわてて答える。
「ベンだよ!」
「どうしたんですか、急に大声を出して」
焦ったせいで早口なだけでなく、声が大きくなってしまったみたいだ。不審そうに眉を動かすサーシャに向かって首を振る。
「いや、何でもない。ただ……その、僕が誰と出かけようと構わないだろう」
ええ、とサーシャはうなずいた。普段から彼は、教育上不適切な相手でなければ僕が誰と付き合おうと気にしないと公言している。ただし、僕がこの家の外でちゃんとした社会生活を営めているのかは気になるのだという。確かに、今では僕がこの家やこの地区以外で過ごす時間は長くなり、人間関係もすでにサーシャの観察範囲を超えている。
でも、そうなった原因のひとつはサーシャ本人にある。
僕が今のカレッジに転入したときに、この家での生活について周囲に隠した方が良いのではないかと言いだしたのは、意外にもベネットさんではなくサーシャだった。
幼少の頃から一緒にいて「なんとなくそういうもの」として僕の生活を受け入れてくれていた地元の友人たちと、「正しい振る舞いを覚え人脈を築くため」の学校の友人たちは違う。育児支援用のアンドロイドとふたり暮らしなんて、これまで以上に奇異の目で見られてしまうだろう。
僕は――正直少し悩んだ。
だって、サーシャとの暮らしを選んだのは誰でもない僕自身だ。おじいさんという後見人がいて、家庭裁判所の許可ももらっているのだから、後ろめたいことなどない。
でも、その一方で、心のどこかでは新しい友達にゼロから僕のことを説明するのも、理解してもらうのも難しいだろうと感じていた。
小さい頃は「微笑ましい」と言われていた僕とサーシャの生活。いつからか周囲の反応は変わってきた。本来は小さな子どもの世話をするための家事育児支援用アンドロイドを、ティーンになっても頼り続けるのは「普通ではない」。ああいう学校だととりわけ「寮に入れば、ロボットなんかいらないのに」という反応を招くだろう。
いちいち説明するのも面倒だし、出会う人出会う人に「ロボットなんかいらないのでは」と言われるのは、サーシャを否定されているようで悲しくなる。それが、僕が本当の生活を秘密にしている理由だ。
「あなたのためには、奇妙な生活をしている変わり者だと思われないほうが得だと思ったんです」
サーシャの言い分は半分は正しい。でも、「変わり者」がいけないのだと言いだしたら、ラザフォード家についてはすでに手遅れなのかもしれない。
妻を亡くし娘に去られてからは、親類も遠ざけて淡々とビジネスだけを続ける人嫌いのサー・ラザフォード。親元から出奔して、得体の知れない外国人との間に私生児を設けた娘。そして、僕。
変わり者一族と開き直るのが果たして良いことなのかはわからないけれど、もしかしたらすべて明かしてしまった方が気が楽になるのかもしれないと思うこともある。
でも――「どうせあと数年ですから」と、ときおりベネットさんは言う。かつてほど彼が「サーシャ離れ」を迫らないのは、過去に僕が激しい抵抗を繰り返してきたから。そして、しょせん何もかも僕が十八歳になれば終わると思っているから。
お母さんが亡くなる前に僕のため結んだ、教育係兼家政夫であるアンドロイドの賃貸契約はあと数年。さすがに契約終了の頃には頑固なアキヒコも現実を見るだろう。そう考えているのだ。
急に嫌なことばかりが頭に浮かんできて、僕はフォークを皿に置きナプキンで口を拭った。
「やっぱり焼き加減がまずかったですか? てっきり四切れは食べると思ったのに」
想定よりずいぶん早い食事の終わりに、サーシャは不安そうな素振りを見せるが、味ならいつも通り絶品だ。
「学期が終わって、どっと疲れが出ちゃったみたい。もしかしたら夜中に食べたくなるかもしれないから、残ったパイは置いておいて」
僕はそう言い残してテーブルから離れた。
シャワーを浴びて部屋に戻る。ようやく試験も終わったし、今日はゆっくり眠ろうと思ってベッドに入ると、逆に頭が冴えてくる。
しばらく入眠の努力を続けて、あきらめた僕はベッドの下のボックスから書類入れを取り出した。
一番上にあるのは、サーシャの契約書の写し。見間違えであればいいのにといつも思うけれど、何百回何千回見返しても契約期間は「アキヒコ・ラザフォードの十八歳の誕生日まで」。
契約書の下にはたくさんの民生品アンドロイドのカタログ。なぜだかわからないけれど、サーシャと同じ型番のものはない。彼はリストア品というから、同型の機種はすべて廃番なのかもしれない。だったらその分、安く買い取れたりしないだろうか。
スペックだけでもサーシャと似たもののカタログを見れば、販売価格は目玉が飛び出しそうになるほど高い。運転免許をとったら買ってもらうんだとヒューゴが騒いでいた高級スポーツカーと同じくらいの値段。
本気で頼み込んだとして、もしかしたらスポーツカーなら僕だって買ってもらえるかもしれないけれど、十八歳のアキヒコ・ラザフォードが家事育児支援アンドロイドを買い取るなど、おじいさんもベネットさんも許してくれるはずがない。それにいくらリストア品とはいえ、このカタログのどのアンドロイドよりもサーシャは精巧で、高機能に見える。
最後に僕は、おじいさんの手伝いをする対価としてもらっている小遣いを貯めている通帳を開く。十五歳の子どもにしては十分すぎる金額だけれど、とてもではないがアンドロイド一体を買うには足りそうにない。いや、そういえば、そもそもサーシャの契約書には「買い取りオプション」の項目すらないのだ。
「困ったなあ……」
そのうちサーシャがいなくても平気になるはず。
周囲のそんな期待に反して、僕は今も彼のいない生活を思い描くことはできない。