僕と機械仕掛けとゴースト(6)

「アキ、また背が伸びた?」

 待ち合わせたカフェで僕の姿を見た瞬間に、ベンが言う。

 サーシャが僕の成長に疎いのは面白くない。一方で、昔からの友だちに身体の変化を指摘されることを照れくさく思ってしまうのはどうしてだろう。

「そうかなあ。二ヶ月くらいじゃ変わらないよ」

 気恥ずかしさを悟られないよう、できるだけさりげなく答えてベンの向かいに腰掛ける。座っているから身長の変化はわからないけれど、そういえばベンだってこの間会ったときと比べて少し声が低くなったような気がする。

 とはいえベンの顔を見たら僕はいつも、数年前に引き戻されたみたいな気分になる。学校カレッジの友人たちといるよりもっと打ち解けて、格好つけることもなしに、子どものときと同じ気持ちで――……。

「あれ、ベンそれ」

 カフェラテの入ったマグカップを持ち上げたベンの指で、きらりと光るものが目に入った。

「あ……」

 しまった、というような。もしくは、やっと見つけてくれたと言いたげな。ベンの顔には、気まずさと嬉しさがちょうど半々に入り交じったような曖昧な笑みが浮かぶ。

 十五歳という年齢が、指輪をつけるのに早すぎるということはないだろう。学校にもネックレスやブレスレット、指輪をつけている同級生はいる。大抵は古めかしいけれど代々一族に受け継がれてきた大切な装身具。でも最近では、それほど高級ではないけれどピカピカで、今風のデザインのものを見かけることも増えてきた。まるきり今のベンと同じように、さりげなく、でも見せびらかすように。

 面倒くさいな。頭に浮かんだのはそんな考え。

 せっかく試験結果とか進路とかおじいさんの手伝いとか、すべてを忘れて子どもの気持ちに戻れるはずの時間なのに、ベンの指に光るものは一気に僕たちを現実の時間軸に引き戻す。十五歳。そろそろ子どもから、大人に変わろうとする宙ぶらりんな年頃の僕たちに。

 気づかなかった振りで済ませたいのが正直なところだけれど、ベンがそれを望んでいないのは明らかだった。そういえば、今日の約束をするために電話で話したときも、やたらと浮ついた様子で「ちょうど話したいこともあって」なんてほのめかしていたっけ。

 ごく短い迷いの後で、僕は口を開く。

「それのことだったんだ、話したいって」

 わざと無視したと思われたら、ベンはきっと気を悪くするだろう。別の話をしたって、どうせ指輪について切り出したくて上の空だ。だったら、僕にとっては興味のない話だけれども、さっさと取りかかってさっさと終わらせるに限る。

「うん」と、ベンはうなずく。

「ひとつ下の学年の子なんだけどさ、帰りのバスが同じになることが多くて。ずっと可愛いと思っていたんだ。それが偶然……」

 雨の日に、彼女が友達と「傘がない」と話しているのを聞いてしまったベン。その子の家の最寄りが、いつも一緒にいる友達よりも、ベンが降りるよりも遠くのバス停であることはわかっていた。だからその日、ベンはあえて彼女が降りる停留所までバスに乗り続け、偶然を装って傘を差しだしたのだという。

「それからバス停で話すようになって、週末に一緒に図書館で勉強する約束して」

 立ち聞きから、わざとらしいバスの乗り過ごし。僕からすればちょっと気持ち悪いというか、やり過ぎな気もする。

「何が図書館だよ。普段寄り付きもしないくせに」

 思わず呟くと、話の腰を折られたベンは不満げに唇を尖らせた。

「つまんないこと言うなよ。勉強するかどうかなんかどうだっていいんだ。図書館なんて、デートに誘う前段階の定番だろ」

 ベンの周囲では、いきなり本格的なデートに誘う前に「図書館で勉強」や「ちょっと公園で散歩」で脈があるかの確認をするのが暗黙の了解になっているというのだ。僕の学校の友だちが、好感を持っている相手をパーティに誘うとか乗馬に誘うとかいうのと同じことなんだろう。

 何にせよ、他人の恋やデートの話ほどつまらないものもない。いつかの「シルビア事件」を彷彿とさせる熱っぽさでペアリングの持ち主について語るベンに適当に相づちを打ちながら、僕はぼんやりとガラス越しに、テラス席にいる親子連れを眺めていた。

 お母さんと小さな男の子。子どもはできる限りの大きな口をあけてアイスクリームを食べているけれど、唇は溶けたクリームでべたべただ。

 あまりに前のことで覚えてはいないけれど、僕とベンが出会ったのも多分、あの男の子と同じくらいの年の頃だった。もちろん二人でカフェなんて許されないから、遊ぶのはもっぱらどちらかの家。ベンの家にいた育児支援ロボットのアニーは、サーシャほどではないけれど料理上手で、彼女の手作りのおやつを食べるのはいつだって楽しみだった。

 男の子の口をナプキンで拭ってから、母親が腕時計を確かめる。それとほとんど同時にテラス席には別の人影が近づいてきた。

 母親が顔を上げて、立ち上がる。つられて視線を上げた僕は、思わずはっと息を呑んだ。

 ――アニー。

 そこに立っているのは、ちょうど懐かしく思いだしていたアニー、まさにその人だった。

 ベンのきょうだいが学校に入るタイミングで、アニーはベンの家を去った。子育ての負担が小さくなるタイミングで育児ロボットの契約を終えるのは普通のこと。そのことは知っていたけれど、アニーがいなくなるのは、いつかサーシャとお別れをしなければいけない自分を見ているようで悲しかった。

 ベンも寂しそうではあったけれど、「仕方ないよ」と言う姿は僕が想像していたよりはずっとあっさりしたものだった。契約終了を泣いて嫌がったという年下のきょうだいたちも、数週間も経たないうちにアニーのいない生活に慣れてしまったのだという。

 そのアニーが、ここにいる。まだベンは気づいていない。彼はアニーを見たらなんて言うだろう。アニーがベンに気づいたら、どうなるんだろう。僕の心臓は大きく打ちはじめた。

「……アキ、聞いてる?」

 ちょっと苛立ったように名前を呼ばれて、慌てて視線をベンに戻す。

「うん、聞いてる。で、その子と付き合ってるんだろ? 良かったじゃないか」

「何か、気持ちが入ってないなあ。もしかして先を越されたって思ってる?」

 疑わしそうに睨めつけられるが、とんだ勘違いだ。

「まさか! 僕はそれどころじゃなくて」

「確かにアキから好きな子の話とか、一度も聞いたことないもんな」

 俺たち親友なんだから、恋人ができたら一番に報告するんだぞ。突如として約束を迫られて、僕はあいまいにうなずいた。

「アキもいろいろ忙しいんだろうけど、俺たちくらいの年齢になったら特別な子のひとりやふたりいる方が普通だろ」

 心配そうに、ちょっと可哀想なものを見るように僕を見つめてから、結局ベンは、大きなカップいっぱいのカフェラテを飲み干すまでの間ずっと、嬉しそうに恋人の話を続けた。

 帰り際、テラス席を通り過ぎるときに僕の視線は再びアニーを探す。用事でもあるのか姿を消した母親の代わりに、男の子の世話をかいがいしく焼いている。数年前にベンやきょうだいたちにやっていたのと、まるきり同じように。

「どうしたんだよアキ。今日はよそ見ばかりして」

 僕の態度がよっぽど不審だったのか、ベンがきょろきょろと周囲を見回す。その視線はやがて、アニーたちのところで止まった。

 僕は少しばつの悪い気持ちになる。

「ごめん。アニーを見つけて、気になっちゃって」

 彼女との暮らしを思い出して少しくらいはベンも寂しくなるのではないか。そんな心配をよそにベンはあっさりと言った。

「気にすることないよ。あれはもう、うちのアニーじゃないんだから」