僕と機械仕掛けとゴースト(7)

「楽しくなさそうですね。せっかくベンと会ったのに、もしかして喧嘩ですか?」

 じっと僕の様子をうかがっていたサーシャが切り出した。喧嘩を疑われるなんて、帰宅してからの僕はよっぽど浮かない顔をしていたのかもしれない。

「そんなんじゃないよ。でも、なんか」

 そこまで言ったところで口をつぐむ。何をどう、どこまで話せばよいのかわからなくなってしまったのだ。

「どうしたんですか? あんなに楽しみにしていたのに不貞腐れて帰ってくるなんて、気になります」

「……別に、何でもない。ベンなら相変わらずだったよ。好きな子ができると、他に何も考えられなくなっちゃうんだ」

 苦し紛れの答えに、サーシャの口元にほっとしたような笑いが浮かんだ。

「今日も女の子の話ばかりで、あなたは退屈してしまったというわけですか」

 僕はうなずいた。

「まあ、そんな感じ。これ見よがしにペアリングなんかつけちゃって。楽しそうなのはいいけど、僕には関係のない話だから」

 サーシャに嘘をついているわけではないけれど、完全に本当のことを話しているわけでもない。

 ベンから延々と聞かされたガールフレンドの話は、もちろん猛烈に退屈だった。でも僕の心に引っかかっているのは、店を出るときの出来事だ。テラス席で見知らぬ母子と楽しそうに話していたアニーを見て、ベンが冷淡な反応を見せたことがショックだった。

 レンタルロボットは、賃貸契約が終了するとメモリーを入れ替え完全に破棄することが法律で決まっている。家事や育児を支援するロボットは、貸出先の家庭の秘密に触れることが多い。情報の悪用を防ぐため、契約終了すると速やかにロボットから記憶媒体が回収され、バックアップともども破壊されるのだ。

 確かには、僕の知っているアニーではないのかもしれない。

 でも、いくら記憶がなくなったといっても、子どもの頃ずっと一緒にいた存在だ。いや、記憶を失ってしまっているからこそ、寂しさを感じるんじゃないか。僕はそう考えてしまうけれど、ベンは違うみたいだった。

 同じ姿で、同じ声で、同じように話をしていても、あれはもう「うちの」アニーではない。だから関係も関心もない。僕はそのことがショックだった。

 明らかに話を打ち切りたがっている僕を、サーシャは心配そうに見つめる。もしかしたら他に不機嫌の理由があるのではないかと疑っているのだろうか。問い詰められたらどう言い逃れよう。

 けれど、どうやら僕の不安は的外れだったようだ。

「あのときとは違って十五歳ですからね。ベンが女の子の話ばかりしたがるのは健全な青少年の成長の範疇かと……」

 あのとき、というのはきっと小学校時代にベンが同じクラスのシルビアを好きになったときのことだ。そのシルビアが僕を好きだと言いだしたせいで、ベンは僕を裏切り者呼ばわりし、しばらく口をきいてくれなかった。

 今よりずっと子どもだった僕にとって一番の友だちであるベンに嫌われるのはとても辛く悲しいことだったから、家で平静を保つことができず、結局サーシャに何もかも話してしまった。

「そんなこともあったね。結局ベンとは喧嘩するし、シルビアにも嫌われるし、僕だけが損したんだよな」

 たったあれだけのことで大騒ぎしたのは馬鹿みたいだけど、ベンも僕も、そしてシルビアも大真面目だった。思い出すとなんだかおかしくなって、憂鬱な気分でいることも忘れて僕はくすくす笑う。

 視線を感じて顔を上げると、サーシャが相変わらずの真顔でじっとこちらを見ている。僕に笑顔が戻ったなら安堵していても良さそうなのに、一体どうして? その答えはすぐにわかる。

「アキ、あなたは誰かにそういう気持ちを抱いたことはないんですか?」

「は?」

 再び僕の顔からは、笑いが消える。

「デートしたいとか、他の子といるのを見て嫉妬心を抱くとか」

 この流れは何度も経験がある。ベネットさんに言われる分には耳を塞ぐし、ベンの言葉は適当に聞き流せばいい。でも、まさか家でまで――。

「急にサーシャまで、何の話だよ」

 興味のないふりでやり過ごそうとするが、そうはいかない。サーシャは僕の身長や体重や成績が〈人並み程度、もしくはそれ以上であるか〉を気にするときと同じくらい真剣な顔で続けた。

「いえ、よくよく考えると十五歳にもなれば、そういう気持ちのひとつやふたつあってもおかしくないのかもしれません。あなたの健全な成長を助けることが私の義務ですが、いかんせん私に搭載された機能は基本的には小さな子どもを対象にしたものですから。思春期の情緒的発育に関してはデータやノウハウが足りないようです」

「え、ちょっとサーシャ……」

 僕はうろたえる。これは良くない。ベネットさんやベンに奥手を指摘される以上に面倒なことになる予感がする。第一僕はただ、ちょっとした愚痴をこぼしただけだ。あまり深刻にとらえられても困る。

「少し、考えてみなければいけないようですね」

 どこまでも自分に課せられた義務に忠実なロボット。サーシャはどうやら僕のに不足があると判断したということ。嫌な予感しかしない。

「そういうの、いらないから。余計なお世話!」

 まだマグカップの半分もお茶が残っていたし、お皿のビスケットも食べきってはいないが、うんざりした僕は椅子を蹴って立ち上がった。

「自分から言いだしたくせに、何を怒っているんですか」

 行儀の悪い動作に眉をひそめるサーシャは、僕の気持ちなんて何もわかっていない。勘の良いサーシャなのに、肝心なことはいつもわかってくれないのだ。

 これ以上〈情緒的発育〉とやらの話をされたくないので、僕は自分の部屋に行く。普段より大きな音を立ててドアを閉めるのはもちろん、無神経なサーシャへのささやかな抵抗だった。

 シルビアの一件のとき、サーシャは「いつかあなたにもわかる」と言った。あれから五年近く経って、僕の身長は彼を追い抜いたし、新しい環境で新しい友だちもできた。勉強もして、おじいさんの手伝いも頑張って、ずっと賢くなったつもりでいる。でも、僕の中の一部はまったく変わっていない。

 ベンが早熟なわけではないことは、理解している。前の学期にヒューゴは女の子とデートして寮の門限を破ってしまい、呼び出しを受けた。ロドリゴに見せてもらった故郷にいる許嫁の写真は、まるで映画女優のように美しかった。

 僕には――何もない。

 きれいな人を見ても、優しい人と出会っても、「いい人だな」と思うことはあってもそれ以上に気持ちが動くことはない。それはおかしなことだろうか。毎晩この家に戻り、サーシャの作った食事をして、とりとめのない話をする。そんな日々が永遠に続けばいいと思うことは、おかしなことだろうか。

 お母さんの代わりにやってきたけれど、サーシャは僕のお母さんではない。血も繋がっていないし、法的な家族でもない。ただ、僕の世話をするために借りているロボット。決められた年月が過ぎれば工場に戻され、記憶装置を取り替えられて、子育ての手伝いが必要な別の家庭に送られるべき存在。ちょうど今日見かけたアニーと同じように。

 別れへの不安は、今日目にした光景のせいで生々しく絶望的な近未来になる。

 サーシャのいない毎日なんて想像できない。サーシャが僕を見かけても素知らぬ顔をして、どこかよその子どもの世話を焼いているところを見たら――もちろん僕のことなどすっかり忘れた状態で――ベンのように割り切ることなどできるはずがない。