48. 蒔苗、苦悩を吐露する

 倒れたばかりだから家で休んだ方が、とらしくもない常識的なことを言い出す蒔苗のマンションに押しかけると、アカリはまっすぐベッドルームへ向かう。アカリ自身に記憶はないものの何度も蒔苗に抱かれたベッドに腰掛け、そのまま後ろに体重をかけると仰向けになる。

 いくら鈍感な蒔苗でも、さすがに今アカリが何を望んでいるかがわからない訳ではないだろう。そして蒔苗だって当然同じことを望んでいてくれなければ困る。

「おい、本当に大丈夫なのか?」

「病院で睡眠不足も栄養不足も一気に解消だよ。ったく、つまんない心配させるんだから」

 上から顔を覗き込んでくる男に、アカリは少々恨みがましい調子で訴えた。

「明里が勝手に早とちりしただけだろ」

「まあ、そりゃそうなんだけどさ……」

 勘違いといえば、アカリが蒔苗を「月曜日の絞殺魔」だと本気で思い込んでいたのと同様に、蒔苗だってアカリが百合子を妊娠させたと本気で信じきっていたのだから、お互い様なのかもしれない。

「倒れるまで思いつめる前に、聞けばいいんだ」

 蒔苗の言葉に、しかしアカリは納得がいかない。一体この割り切れなさは何だ、とふと視線を落とすとアカリに並んでベッドに腰掛けた蒔苗の傷だらけの手の甲が目に入った。そうだ、これ。この傷跡。

「聞けば良かったって偉そうに言うけど、蒔苗おまえ見え見えの嘘ついたじゃないか。野良猫なんかこの辺りで見たことないぞ。俺、あれでおまえが後ろめたいことやってるんだと確信したんだ」

 蒔苗は明らかにうろたえた。

「こ、これは」

「もう隠し事はなしだからな」

 本気で睨みつけると、蒔苗は渋々、その傷が百合子とアカリの関係を疑うようになって以降の動揺によるものだと告白した。

 アカリの自慰行為を手伝って以降、蒔苗は奇妙な変化に悩まされるようになったのだという。薬を使って意識のないアカリを抱いているときに、起きているときのアカリの敏感な反応が頭に浮かんでくるようになったのだ。弱い場所をくすぐったときの甘い声。もどかしく身をよじる動き。硬く勃ち上がる胸の先や性器。思い出すと興奮がより高まる気がしたのだと。

「でも、どうしてそんなことになるのか、意味がわからなかった。何しろ俺は、物心ついて以降、死んだ人間に惹かれ続けてきたし、生身の人間との接触に嫌悪を感じ続けていたんだから」

「うん、まあ。わかるよ、多分」

 アカリはできるだけ蒔苗の気持ちに寄り添おうと試みる。例えば生粋のゲイを自認するアカリが女性相手に欲情してしまうことを想像すれば、比較的そのときの蒔苗に近い気持ちが味わえるはずだ。きっとアカリは天地がひっくり返るようなショックを受ける。

「もちろん動かない明里とやるのはすごくいい。でも、もしここで動いたら、声を出したら、反応があったらと。以前ならそんなこと、考えただけで吐き気がしたはずなのに」

 そういえば、アカリの青姦現場を見て嘔吐したときのことを蒔苗は「自分の身に置き換えてみた」のだと言っていた。

 ただでさえ思わぬ自身の変化に動揺していたときに、蒔苗はアカリが百合子を妊娠させたのではないかと疑いはじめる。頻繁に電話で話しているのを見て仲が良いとは思っていたが、アカリが中絶について検索をしているのを見てピンときた。その少し前に真夜中呼び出されたのもきっとその話だったのだと。

 ゲイのアカリがなぜ百合子とそんな関係になりうるのかについて「死体にしか興奮しないはずの自分が明里に妙な気持ちを抱くことがありうるのだから、ゲイが急に女性に惹かれることもあるだろう」と納得したというのは、ある意味筋の通った考えではある。

 そして意外と常識人な部分もあった蒔苗は、アカリと百合子がそういう関係ならば自分は身を引くべきだと考えはじめた。

「そんなもやもやした感情を抱えていたあの日、なんと俺は起きているお前とセックスするところを思い浮かべて、勃起した」

 混乱した蒔苗は思わずアカリの首を絞めた。さらに行為を終えた後に興奮がおさまらず、気持ちを落ち着かせようと自分の手を引っ掻いたりつねったりしていたのだという。

 その後大学でアカリと百合子が二人で「子どもが」とか「結婚が」などと言っているのを立ち聞きしてしまい、耐えきれずアカリに日曜の予定のキャンセルを申し出たというわけだ。

「早とちりはどっちだよ」

「まあな」

 アカリは手を伸ばし、ベッドの上に置かれた蒔苗の傷だらけの手の甲にそっと自分の掌を重ねた。

 恋なんてしないと思っていたアカリ。生きている人間には欲情しなかったはずの蒔苗。なのに今はこんなにも強く互いを求めている。

 でも、人生きっと、こういうこともある。

「蒔苗、俺は今すごくやりたいんだけど。ちゃんと意識のある状態で、今までやったことのないようなセックスがしたいんだけど」

「百戦錬磨な明里に、今までやったことのないセックスなんかあるのか?」

 あるよ、と囁いてアカリは手を伸ばす。誘いに応えるように蒔苗がゆっくりとアカリに覆いかぶさってくる。顔と顔が近づきキスする寸前で止まり、アカリは囁く声でようやく質問への答えを明かした。

「愛のあるセックス」