醒めるなら、それは夢

77. 第5章|1950年・西ベルリン

シュンシュンと白い湯気を吐き出しながらやかんが震えはじめる。ニコははっとして火を止めると、コーヒーの瓶を開けた。「悪いな」差し出されたマグカップを受け取りハンスが礼を言う。結局あのまま立ち話で終わらせることもできず、ニコはハンスをアパートメントへ連れて来てしまった。ほとんど客を招いたことのない部屋にこの男が座っていることにはひどい違和感を覚える。まるで時間が三年分巻き戻ってしまったような、それは恐怖にほかならない。
雨を待つ国

9.  王殺し

だが、男たちについて入り込んだ王宮の中庭で、バルコニーに現れた頼りない人影に向かって人々が歓声を上げるのを見て〈王殺し〉は目を疑う。――子どもじゃないか。年の頃は十四、五だろうか。それは線が細い、まるで女のような顔をした少年だった。王という名称から想像していた凜々しさ、荘厳さ、ふてぶてしさ、そのいずれも欠片すら持ち合わせていない子どもが、いかにもお仕着せの美しい衣装を着て不安そうにまつげを震わせている。
雨を待つ国

8.  王殺し

逃げるように西の果てを飛びだして、最初は深い森を走った。森は暗く早く駆けるには邪魔な障害物も多いが、今思えば長い旅路の中では一番過ごしやすい場所だった。あちこちに食用できる木の実がなっていて、野うさぎや野生の小鹿といった小動物を捕まえることもできるので食うに困ることはなかった。何よりそこにはほとんど人間の姿がなかったので、この異様な獣の姿を気にすることなく過ごせた。
醒めるなら、それは夢

76. 第5章|1950年・西ベルリン

周囲の社員が片付けをはじめるのに気づき時計に目をやると、終業時間を過ぎていた。ニコは確認途中だった原稿を封筒に戻し、机にしまうと席から立ち上がる。「お疲れさまです」あいさつをして事務所を後にしようとすると、先輩の女性社員が声をかけてくる。「ニコ、今日もこれから学校なの?」
雨を待つ国

7.  少年王

じわじわと痺れる体の内側に熱が溜まっていった。口の端からだらしなく垂れるのが自分の唾液なのか、それとも散々口の中を蹂躙しつくした〈あれ〉の分泌液なのかもわからない。「ん。や……」思考は中途半端に奪い去られるが、嫌悪までも消えるわけではない。〈少年王〉は、もはや抵抗とも呼べない程度の力ない拒否の言葉をつぶやき、ふるふると頭を振ってなけなしの意志を示した。