醒めるなら、それは夢

醒めるなら、それは夢

35. 第2章|1939年・ハンブルク

年が明け、街の空気は表面上落ち着いていた。|水晶の夜《クリスタルナハト》以降は目立ってユダヤ人が暴行を受けるような事件も起きてはいない。だが、少し考えればそれが厳しい外出制限や多くの場所への立入制限により街にユダヤ人が出てこなくなったためであるのは明らかだった。父親はユリウスにグロスマン家への立入を禁止した。とはいえその言いつけは限りなく実効性の薄いものだ。経営する機械部品工場が急に忙しくなり、父親の帰宅時間も遅くなったからだ。
醒めるなら、それは夢

34. 第2章|1938年・ハンブルク

べっとりと白いペンキで描かれたバツ印に、ユリウスの視線は吸い込まれる。真新しい筆跡はまだ乾ききっておらず、それはまるで神々しい十字架のようにも見えた。背後を通りすがった男が舌打ちをするのが聞こえて、あわててベンチから目をそらす。しかし既に目を付けられてしまっていたのか、男はユリウスに近づいてくる。上着の襟には赤いナチ党のバッジを付けている。
醒めるなら、それは夢

33. 第2章|1938年・ハンブルク

翌朝ユリウスが通学中に目にした街の様子はひどいものだった。ユダヤ人の経営する商店はことごとくショーウィンドウが割られ、道路はガラスの破片でいっぱいだ。略奪の残骸なのか荒らされただけなのかわからないが、商店や民家から持ち出されたらしき物もそこらじゅうに散らばっていた。ひどいことに、真新しい血痕すらあちこちで目にする。まるで嵐か竜巻かが通り過ぎた後のようで、このすべてが人の手による暴力だと思うと背中がぞっと冷たくなった。
醒めるなら、それは夢

32. 第2章|1938年・ハンブルク

二人の関係は変わったとも、変わらなかったともいえる。ユリウスはときどきニコに触れるようになった。ときどきというより、ごくたまにと言った方が正確かもしれない。ニコの家には大抵レオやその友人やレーナがいるから落ち着いて二人きりになるような機会はそもそも少ない。また、夏休みが終わってしまえば父親がいつ帰宅するかわからない夕方の時間にニコをユリウスの自宅に招くようなこともできなくなった。要するに、そもそも隙がないのだ。
醒めるなら、それは夢

31. 第2章|1938年・ハンブルク

何を言おうとしているのかもしくは言うまいとしているのか、ユリウスの問いかけにニコは呆気にとられたように口をぱくぱくとさせた。しばらく目を白黒させてようやく言葉を発するが、それは質問に答えるものではなかった。「ど、どうしたのユリウス。急に変な話して」こんなにあわてた様子のニコは今まで見たことがない。だが、ニコが動揺すればするほどユリウスはむしろ落ち着き、強気になってしまう。