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109. 尚人

ひとりで生きることを学ぶ時期。そんな風に気負ってはじめた新生活だったが、戸惑いも不安も日々の慌ただしさの前にすぐに消えた。最初のうちこそ栄と頻繁にメッセージのやり取りをしていたが、それぞれの暮らしが軌道に乗るにつれてその回数も減っていった。 秋が終わるころには冨樫と進めていた新事...
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108. 尚人

友人たちの献身的な協力のおかげで、日が落ちる前に全てのものが新居のどこかには収まった。さすがに空腹を感じ、どこかに食事に出かけるかそれでも出前でも取るかと相談をはじめたところで尚人のスマートフォンが鳴りだす。「もしもし? 聞いてた住所の前まで来たんだけど、部屋は407号室で良かっ...
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107. 尚人

九月に入って最初の日曜日に尚人は麻布十番のマンションを出た。 不動産屋をいくつか回り、中野の外れに身の丈に合った賃貸マンションを見つけた。丸ノ内線の支線沿いということでやや交通の便に劣る分、家賃が手頃だったのが一番の魅力だった。離れて暮らす兄に相談すると二つ返事で保証人を引き受け...
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106. 栄

尚人が涙を流すのを見て胸が痛まないわけはない。それでも栄は、この決断を決して覆さないと決めていた。 今回の海外赴任の話はいつまでも中途半端なまま思い切ることができない自分に与えられた唯一にして最大のチャンスで、この機を逃せば栄と尚人はいつまでも情に縛られ不毛な生活から逃れられない...
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105. 尚人

「え……?」 思いも寄らない栄の言葉に、尚人の思考は停止した。このマンションを引き払うというのはどういう意味なのだろう。言葉どおりに受け止めればただ住居を変えるだけのこと、もしくは――。動揺のあまりそれ以上の言葉を発することができない尚人を前に、栄も箸を置いた。「人事に呼ばれて、...