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19. 尚人

一体何が気に食わないのかわからないが、一夜明けても栄の機嫌は直らなかった。寝室から出てくるときには既に小脇にラップトップを抱えていて、そのままダイニングテーブルに座りこむと尚人が入り込めない結界を築いた。結界――栄が家で仕事するときの状態を、尚人は密かにそう呼んでいる。
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18. 尚人

土曜日の朝、尚人は珍しく寝坊をした。なぜかといえばセットしてあるはずのアラームが鳴らなかったからだ。なぜアラームが鳴らなかったのかといえば、それはスマートフォンが充電切れを起こしていたからに他ならない。枕元で真っ暗な画面のまま冷たくなっているスマートフォンを手に、一瞬何が起こったのかわからなかった。それから端末の故障を疑い電源ボタンに指をかけると、画面には充電切れを示すアイコンが大写しになった。
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17. 栄

昼には大井と山野木を帰し、しかしひとりで職場にいれば何かとやりたいことが出てくる。平日だと、ひっきりなしに鳴る内線電話に邪魔されてできない資料整理や細々としたメールへの返信など、雑務ならばいくらだってあった。ほとんどの電気製品がオフになり、冷たくなった静かなオフィスで仕事に集中することで、午前中の不愉快な出来事についても忘れようと試みた。それでも手を止めるたびに嫌味な議員秘書の顔や声がちらほらと頭をよぎり、栄は奥歯を噛み締めた。
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16. 栄

出来上がった資料を紙袋に詰めて栄は議員会館へ向かう。荷物があるので普段ならば官用車を出してもらうところだが今日は土曜日、深夜残業者を狙って朝方まで庁舎前に列を作っていたタクシーもこの時間にはすっかり姿を消している。仕方がないので地下鉄に乗った。車内には都心に買い物に出ようとする若い男女や、行楽の家族連れが目立つ。風呂にも入っておらず、しわの寄ったスーツにビジネスバッグと大量の資料をぶら下げた自分はひどく場違いに思えた。気分は当然憂鬱だ。山野木に罪悪感を抱かせないようオフィスでは明るく振る舞ったが、叱られることがわかっている謝罪訪問など楽しいはずがない。
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15. 栄

胃痛はやがて消えたが、すっかり伸びてしまったカップ麺をこれ以上食べる気にはなれない。給湯室に残飯を捨て、ついでに歯磨きを終えた栄が席に戻ると、険しい表情で山野木が受話器を握りしめていた。主意書答弁案の確認を終えた課長から修正の指示を受けているのだろうと思い近寄ってみると、どうも様子がおかしい。大井も難しい顔で山野木の話に耳をそばだてている。