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99. 栄

その後はかつての仕事についてなどとりとめのない話を続け、ふと時計に目をやるとすでに十時近かった。いつの間にかテーブルには蓋の空いた酒瓶や徳利がいくつも並んでいる。以前の栄からすれば大したことのない量だが、二ヶ月の禁酒の後とあって既に気持ちの良い酔いが全身に回っていた。「もうこんな...
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98. 栄

羽多野から指定されたのは虎ノ門の雑居ビルにあるこじんまりとした居酒屋だった。約束の時間から五分ほど遅れて到着した栄が羽多野の名を告げると、奥まった席に案内された。 店主らしき初老の男と軽い調子で話しているところを見ると、羽多野はこの店の常連であるようだった。だからこそ、つい最近ま...
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97. 栄

尚人が優馬の元を訪れた二日後、週明けになって笠井志郎事務所は一連の騒動について正式なコメントを出した。 後援会主催のいくつかの集会やイベントについて政治資金収支報告書への記載が漏れていた点については事務処理上の誤りであり、すでに記載修正を済ませた。補助金を受けている企業からの別団...
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96. 栄

栄は土曜日の午後を丸々ひとりで過ごした。尚人は仕事の後でそのまま笠井優馬に会いに行くので帰りは夜の八時過ぎになると言っていた。 胃潰瘍の治療は順調で、いまでは食事もほぼ通常通り、よっぽど激しいものでなければ運動も解禁された。剣道用具の一式は虫干しを終えているものの道場に顔を出す踏...
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95.  未生

父との不和は長い――というより関係が良好であったことはないが、その間一度だって手を出されたことはないので完全に気を抜いていた。利き手は未生がひねりあげていたので力の入りにくい左手だったのは不幸中の幸いだったが、それでも無防備なところに力任せに殴りつけられればダメージは受ける。視界の中にある父の顔がぶれて、再び焦点が定まると目の前には憎らしい父の顔。スローモーションのように感じた数秒の後に未生は反撃すべく拳を固めていた。